
不要なものを捨てていく断捨離から、使うものしか残さない断捨離に移行するべきだろうなと思い、まずは衣料品から捨て始めた。そろそろスーツはいらないのでは………と思うし、礼服も葬式にしかきそうもないから不要だ。黒い革靴は何足も捨てた。
本棚から溢れていた本もほとんど処分したが、それでも未読の本はそっくり残してある。一度読んだ本であれば、再読する気があるかどうかで判別するのだが、資料としてとってあった本はなかなか判断が難しい。例えば、燻製の作り方とか、ロープの結び方大全みたいな本は、二度と読むこともなさそうだし実用にすることもないとは思う。ただ、捨てられない。なので、本棚の奥に隠して二度と目に触れないように(笑)する。処分しようかどうしようか悩まなくて済む。同じようなカテゴリーに入るのが、このトレンドの記録みたいな本だ。
目次を見ると、第1章 12年間のヒット商品をレビュー とある。12年間とは87年から98年までのことで、バブル時代の最後から平成不況の前半に当たる時期だ。
ちなみに87年のヒット第一位は自動製パン機、88年は東京ドーム、そして98年は映画「タイタニック」だ。読み返せば懐かしいと思うが、その当時生まれていなかった平成生まれが今の若者世代なので、そもそもこれってなんですかという疑問しか浮かんでこないだろう。昔はお笑いの鉄板ネタだった「タイタニックごっこ」を理解するのはオヤジオバンからジジババになりつつある。
また、最終章 21世紀のスタンダードを探る を読み返すと、ともかく予測というのは………という気分になる。99年のヒット作予測では、デジカメが200万画素時代到来と書いてある。今やスマホのカメラでさえ800万画素が標準仕様だし、そもそもデジカメ自体が消滅の危機にある。同じようにNTTにナンバーディスプレイサービスについても考察されているが、固定電話が世から消えつつある。時代予測が難しいというより、そもそも意味がないことなのかもしれない。
こんな世の中から消えてしまったものがオンパレードなので、もはや「資料」としての価値があるかというと、多分、ないのだ。あえて資料扱いすれば、現代考古学とでもいうべき分野に適応するかどうか。その時代を振り返ってみても、表紙に書いてある「次のエースを探す」ことに役立ったのか微妙な感じしかない。

こちらは、12年後に出された続刊みたいなものだが、編集テーマがちょっと変わっている。帯にある「流行は繰り返す」と前書の「次のエースを探す」には、ずいぶん異なるニュアンスがある。世紀末直前の98年には次世紀を予測するという「力強さ」があったが、21世紀に入ると「流行は繰り返すのであれば昔を探れば良い」という、後ろ向きで弱気なスタンスになっている。
ちなみに2010年のヒット作はスマホ、新登場で目立っているのが東京スカイツリーだから、これはそこそこ現在と繋がる感じがする。だが、予測のパートはふんわりとしたものだ。平成後期の社会全体が自信をなくしていた雰囲気がよく現れている。そして、この後に東日本大震災が起き価値観の大変動が起こった。つまり予測の立て様がなくなるほど社会や意識が変わってしまった。この後、続刊は出版されていないように記憶している。ただし、12年サイクルで発刊されるのだとすると、そろそろ続刊が出るのかもしれないが、コロナという世界的大変動があったから、やはり無理かも(すでに出ているのか?)
どちらにしても、この本も資料的価値があるかと言われると、やはり微妙だろう。若手研究者が消費者意識の調査でもするときは、字引きがわりには使えるかもしれない。ただ、自分で持っていても使えることがあるかというと、多分、ないだろう。
学生時代の同窓会をやる時に持って行って、クイズのネタとして使う手はあるかなあ、などと考えている。たまごっちが流行ったのは何年だったでしょうとか、ビデオデッキ(もはや死物)が初めて100万台売れた年は何年だったでしょうとか。記憶が弱くなってきた世代にとっては、良い頭のトレーニングになるかもしれない。
世代を超えて繋げていく価値がある知識など、あまりないのだね。