
ちゃんこ鍋を食べることになった。4人での小規模新年会みたいなものだが、この当たり前の世界が復活したことに気がつくと、なんだかあれこれと考えてしまう。
少なくとも店内にコロナ対策の名残は存在する。入り口の消毒スプレーは設置されたままだ。これは個人的にコロナ対策とは別に、残った方が良いと思う。コロナ期間中に食中毒が減っていたのは事実だ。客数、飲食回数が減っていた以上に、店舗側の衛生意識が向上したことが原因だろう。その衛生意識改善の戒めとして、消毒スプレーは残しておいた方が良い。
ただ、全く意味がなかったアクリル仕切り版はもう撤去しても良いだろう。飛沫感染ではなくエアロゾル感染(空気感染の言い換えみたいなものか)がコロナ感染拡大経路に認定されているのだから、壁を作るよりも換気に主眼が置かれた対策が必要だ。まだ官はそこに踏み込もうとしないのが、官の官たるところだろう。
コロナの時代に多人数の飲食を制限していたが、あれも科学的根拠はどうだったのだろうか。10人20人という大人数であっても、4人テーブルに分散すれば大丈夫だみたいな「政治屋の屁理屈」もずいぶん聞かされた。所詮、科学は迷信やおまじないやクズな政治屋の言い訳には勝てないのだ。
付け加えると、最近流行りの政治屋的言い訳は、ワクチンの接種率が上がったので高齢者の死亡率が減ったということらしい。確か最初の頃は、ワクチンを打てば流行が抑えられると言っていたはずだ。が、今ではワクチンは流行を抑える力はないが、重症者を減らす効果はあるに変わっている。
要するにジイさんバアさんが死ななくなれば問題解決したと言いたいらしい。さすがにそれをはっきり言う政治屋はいないが。だから、コロナ終息宣言を出さない。実にこの国らしい「解決策」なのだが、それでも人はその胡散臭い匂いをかぎ分ける。どうやら、コロナは終わったらしいよと。だから、鍋料理の新年会が復活できたということだろう。
飲食店にとっては、はっきりとした「コロナ終わり宣言」は必要ない。人々が暗黙のうちに、そろそろ大丈夫みたいだねと思ってくれれば良い。逆に、マスメディアが馬鹿馬鹿しいコロナ報道で視聴率稼ぎをしなくなれば、客は戻ってくると考えているだろう。それもまた世間知というものだ。
今では、コロナ報道の代わりにインフレ報道で社会を煽っているが、放送局社員が高級取りだということも知られているので、このインブレ報道は今ひとつ正義として機能しない感じもする。円高に振れれば、必ず輸入還元セールを始めるのが流通業の習いだから、インフレも一息つくことになると思う。そうしたらメディアは一体何を次の生贄にしようとするのか。
ちゃんこ鍋を食べながら、そんなことをぼんやりと考えていた。ちゃんこにたどり着く前にあれこれ頼んでいたので腹が膨れていたせいもあり、久しぶりに会った友人たちとの会話が楽しかったことに加えて、ちょっと飲みすぎた酔が合わさり、あれこれ妄想したことだ。
ちゃんこ鍋を食べるのは、実にささやかな幸せだが無くすにはあまりにも貴重な幸せでもあるとも思っていた。
この3年間は、こんなささやかな幸せが全国で抑えられていたのだ。やはりコロナは静かな戦争だったと思うべきなのだろうか。10年も経てばその手の社会分析がされるのだろうが、現在進行形で生きているうちは、ささやかな幸せをまた手に入れたことを素直に喜ぶべきだろう。そして二度と手放してはいけないのだ。来週はどんな鍋にしようか。