街を歩く

秩父の街歩き

街歩きをするときにはカメラが必需品だった。カメラ機能付きの携帯電話などという便利なものが出現する前は、いつも外出用のカバンの中にコンパクトカメラが入っていた。APSという小型フィルムの規格ができ、コンパクトカメラがずいぶん小さくなった時には素直に嬉しかった。が、それとほぼ同時期に携帯電話にカメラ機能がつき始め、デジカメが一般化してきた。デジカメは画質が悪く記録用としては全く使い物にならないと思っていたが、毎年進化を続け今では旧式化してしまったフィルムカメラを使うことも無くなった。
それ以上に、携帯電話カメラが進化して、スマホ搭載カメラの性能も驚くほど高機能化したため、街歩きにカメラを持たなくなって10年近い。今では一眼レフカメラを持って歩くのは、自分にとってほぼ儀式になってしまった。今日は写真を撮るぞという意気込みでしかない。ただ、スマホのレンズはかなり極端な写真になるので、昔風の端正な写真を撮りたいときには、やはり一眼レフが必要だと思っている。ただ、新機種に買い換えるほどの熱意は無くなってしまった。


ただ、ネットに写真をアップすることを考えると、スマホの方が記録向け機器としてはるかに優秀だ。
街歩きのメモがわりに写真を撮り、メモアプリでコメントを入れておけば、自前の記憶再生能力の衰えを補う有力外部記憶装置になる。年をとって物忘れが激しくなったのであれば、そこは機械で補えば良いと楽観的に考えることにしているし実践している。
なので、秩父の街中を散歩するときには(あるいは旅先の街や、散歩途中の商店街で)パチパチ写真を撮り、後からPCの大画面(27インチ)で目一杯に拡大してみる。やはり、あれこれものを考えるときのヒントとして、写真は実に役立つツールだ。
この秩父歩きの時も、ふと見た看板に書かれている「秩父めし」に興味が惹かれた。最初は店の名前かと思ったのだが、この看板の下に入り口がないことに気がつき、それではと店の周りを一巡りしてみた。

どうやら、これが店名らしい。駅前にありながら喫煙化の表示があるあたり、微妙なローカル感がある。新宿や池袋、渋谷あたりの大繁華街ではすっかり見かけることが減った「喫煙可」サインだが、あちこち旅に出ると比較的目につく。
30代40代男性に関して言えば喫煙率は5割近いので、その年代の男性(オヤジ族)がまだ元気に飲んでいる街・地域では飲み屋の喫煙需要は多いはずだ。逆に大都会では若年層の喫煙率の低下とともに、禁煙店舗が実質的標準仕様になっている。最近では、喫煙室設置に関しても煙漏れに対するクレームのためなのが、設置している店が減少気味のような感じだ。
コロナで息の根が止められそうになっている居酒屋業態でも、オヤジ族中心の店は喫煙、禁煙の選択が悩ましいだろう。普通の食堂やレストランより、もっと大変だろうなと同情してしまう。
そのささやかな抵抗のサインが、この喫煙可に現れているようだ。ただ、個人的には、このサインが出ていると入店するのに躊躇いが出る。しかし、秩父めしも気になるので、開店と同時に店に入りさっさと食べてしまうという作戦を考えている。

その秩父めしを提供する店の横に、普通であれば立ち食いそば店がありそな場所だが、渋い蕎麦屋が一軒あった。この店も妙に気になり店内を覗ってみると、どうやらうまそうな雰囲気が漂っている。秩父には美味い蕎麦屋が多いが駅から遠い場所ばかりで、車がないと行くのが面倒なのだ。この店はくるみのそばつゆも置いてあるようなので、この店も次回に挑戦パート2だな。

街歩きの途中、とある花屋さんの店頭で見つけたこんもりとした茂み?というか屋外フラワーアレンジの一種なのか。趣味が良いなと思ってみたら、なんと小さな看板がかかっていた。これはお店の看板なのだ。
お店の入り口、ファサードの作りには、店主の感性というかセンスが現れる。プラスチックのプランターに入った花を出して良いのは、住宅地の路地裏ぐらいだろう。お店をやるつもりなら、入り口から客を楽しませるエンタテイメントを考えるべきだと思う。秩父の街に限らず、洒落た店はそこがわかっているのだ。
そのお洒落感を当たり前にしている店が多いほど街に人は集まる。オシャレ感ある店頭作りがあるかなしかで、商店街の集合知性が判断できる。シャッター街になってしまった地方の商店街は、その集合地性が働いていない、ということであり、商売の知恵が欠落している。まちおこしをしたいのであれば、まず「見た目」からというのが、長年の街歩きで思うようになったことだ。

もう一軒の楽しそうな店を見つけた。秩父駅から少し離れたところにある、ランプ屋という不思議な専門店だ。焚き火の道具も売っているようなので、最近流行りのキャンプ関連グッズ販売ということだろう。
ただ、ランプと焚き火という、実に趣味性の高い道具に目をつけていることが素晴らしい。これがもう少し尖った方面に進むと、ナイフの店とかガスバーナーの店になりそうだが、それでは守備範囲が狭すぎる。オイル・ランタンのような照明としては時代遅れで不便だが、揺らぐ炎が安らぎをもたらす道具としては効能抜群という、まさに趣味の道具であることが大切だろう。
ファサードからして、うちの店はこういう店だとわからせる強い主張がある。道ゆく誰もが関心を持つとは言わないが、それなりの数の通行人がついふらふらと入ってしまう店ではないだろうか。裏原宿とか奥渋とかいうあたりは、こんな感じの店が集まっている。下北沢では町中がこんな店で溢れているイメージがある。
文化はいつも裏路地から生まれるというのが、我が街歩き観察から引き出した持論なのだが、秩父も街全体で、そういう怪しいテイストを振り撒いているような気がする。まあ、その街で暮らす人にはありふれた光景になっているのかもしれないが。
アニメの聖地として秩父を訪れた若い方達が(年寄りもいるかもしれない?)、こういう店を面白がって秩父に集まってくれば、おざなりのイベント型町おこしよりよほど面白いことになると思うのですがねえ……………

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