食べ物レポート

ひとり酒がお気楽なわけ

 大通公園の冬の景色は、気が滅入る 空が曇りがちなせいもあるだろう

大通公園周辺は、北側がビジネス街、南側が商業地区と言った大雑把な括りになる。そのため、南北どちらの方向に行っても居酒屋やレストランが点在する。コロナが収束しつつある中、居酒屋も通常営業に戻り昼酒飲めます的な緊急避難はおしまいになったようだ。それでも、昔からずっと昼酒営業をしていた老舗では、午後になると酒飲みが集まってくる。
昼酒営業を謳う店は少ないので、どうしても固定客化するようだ。昼酒よりも珍しいのは朝酒だろう。東京でも繁華街には、夜の営業が終わった後、その従業員が飲みにいく店があちこちにある。深夜営業から早朝営業の飲み屋だ。新宿や渋谷などの繁華街でも、朝の通勤客に混じって、しこたま飲んだ酔客が歩いていたりするのは、夜営業を終えたあと深夜営業で楽しんだ方たちだろう。
札幌でもそんな光景があるのだろうか。随分昔に徹夜明けで朝から飲みに行った店は、もう閉店してしまったようだが。

串カツは最強のつまみだ 串揚げでは無いことが重要

その昼飲みの店で串カツを頼むことが多い。居酒屋メニューとしては絶滅危惧種だろう。トンカツ屋でも串カツがメニューにない店の方が多いような気がする。串カツの中身は、油身の多い豚肉と玉ねぎが定番だと思うのだが、あまり肉が大きいのは好みではない。肉2に対して玉ねぎ3くらいのチープ系串カツが好みで、大学時代の学生食堂で食べていた名残というか、刷り込みされた「擬似うまいもの体験」であると自己分析している。
同じような刷り込み体験をあげると、カツカレーのカツの厚さにもこだわりがある。自分流のカツカレーに乗っているカツの楽しみ方だが、中身の肉が薄い程よいと思っている。カツカレーとは、衣をカレーで食べるもので、中に入っている肉はおまけ程度の薄さで良いと思うのだ。肉厚のヒレなどがカツの中に入っていると、カレーとカツのどちらが本命かわからなくなる。それは、ちょっと困るというのが本音だ。
学食で味の薄いカレールーにソースをかけ味変させて、ペラペラのカツをそのカレールーで楽しむというのは、貧乏学生時代におけるたまの贅沢だった。その学食での刷り込みが今でも抜けない。トラウマというより正しい食の記憶だと思っている。
そんなあれこれを考えながら、一人で酒を飲む。好きなものを好きなだけ食べる。職業柄と言っても良いのだろうけれど、居酒屋に行ってあれこれ注文して「お勉強」するのが常だった。そんな時は複数人で行って、少しずつ料理を試すという飲み方をしていた。当然ながら、嫌いな食べ物も中には混じってくる。勉強だと言い聞かせて無理やり食べる。食の楽しみとはちょっと距離がある行動だった。どうも真面目に仕事をしすぎていた気もする。
その反動だろうが、最近は好きなものしか食べないことにしている。そうなると、誰かと同行していても、相手の注文する品物は基本的に別ものと考える。たまたま、同じものを注文したい時は、おとなしくご相伴に預かるが、それ以外は手を出さない。
これは、なかなか難しいことだ。自分の食べたいものを食べる。相手の注文したものは食べない。となるとテーブルの上に皿が溢れる。相手に呆れられるのは間違いない。協調性にかけると言われると返す言葉もない。
だから、一人で飲みにいく方が気楽なのだと、ようやく気がついた。コロナのせいで、そこに気がついた。自分の胃袋のキャパを考えると、たくさんは注文できないので、注文するには熟慮がいる。注文したいものが多くて一度に食べきれないのであれば、もう一回その店を訪れることにする。なんだか、不思議な「新しい行動様式」を身につけたということだろう。

もう一つ変化したことだが、最近は「まずはビール」を頼まない。「まずは……………」と注文するのが日本酒の熱燗になった。銘柄などにはこだわらない。おおよその居酒屋で熱燗に使われる日本酒は、その店で一番普通で一番安いことが多い。それで十分なのだ。熱燗と合わせて水を頼む。熱めの日本酒を飲み、チェイサーで口をゆすぐ。この繰り返しが、一番ダメージの少ない飲み方だと気がついた。熱と冷の繰り返しが大事なようだ。
よく冷やした日本酒は口あたりが良いから、早く飲みすぎる。ハイボールなどの炭酸系も、ぐびぐび飲んでしまい、いつの間にか飲んだ杯数を忘れてしまう。これがいけない。日本酒を熱燗で頼むと、銚子の数で飲んだ量がわかる。目の前に3本の調子が並んだら、本日の終了サインと思えば良い。
ところが、熱燗を複数人で飲むと、銚子の数と飲んだ量が一致しなくなる。差しつ差されつの飲み方は、ここが最大の課題だ。酒量を図るという意味で、一人酒はまことに簡単で健全だ。
コロナが流行っている間は、酒を飲んでのコミュニケーションがなくなると嘆くオヤジ族が多かったようだ。コロナが終われば、飲み会が復活すると期待していたオヤジたちだが、結果は正反対になってしまったようだ。
飲み会のようなパワハラ・セクハラ満載のコミュニケーションはいらないとはっきりいう若い世代が増えて、渋々とオヤジ同士で傷跡をなめるような飲み会しか無くなったらしい。おそらくコロナの落とし子としては、これが最良の社会変化だろうと思う。
一人飲みでは、コミュニケーションなど不要で、悩むこともない。現代日本に最適化した、理想の飲み方だと思うのは自分だけだろうか。いや、自己弁護であります。

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