旅をする

富山にあるもう一つの一宮

高岡と富山の関係は歴史的に見比べてお勉強しなければならないと思っているのだが、ついついサボってしまい、いまだによく理解できていない。越中国は、元は能登国の一部だったらしい。それがある時に分離独立して越中国になった。その時の中心地は高岡北部にあり、国分寺や役所が置かれていたようだ。
だから、高岡城が街の中心になったのは中世以降になる。では、越中国一ノ宮の一つである「射水神社」の位置付けはどういうものだったのかが気になる。そもそも越中国には、一ノ宮が4つあるのだから、そこには古代から中世にかけて、怪しい闘争があったと見るべきなのだが。
高岡城の跡が公園になっていて、そこに射水神社がある。高岡城は平地から少し高くなった小高い場所に建てられていて、深い堀で守られていたようだ。現在では博物館や市民会館(解体工事中)などが城址公園の中にある。訪ねた日には、広場で小学生が野外学習(多分、どんぐり拾い)をしていた。子供の声を久しぶりに聞いた気がする。そういう長閑な場所だった。

高岡の街中にあるので、当然お参りする人も多い。秋の時期には七五三のお祝いにやってくる人も多いだろう。城址になるので、実は参道が曲がりくねっていて直線にはなっていない。これは余程の高い山の上にある神社でなければ見られない珍しい構造だ。

神社らしい端正なお姿

端正な神社という感じがする。この日は朝早いこともあり人影はまばらだった。ゆっくりとお参りを済ませて境内を歩いていたら、二人ほど女性が撮影に来ていた。本格的に一眼レフを持ち込んでの撮影で、これは珍しい光景だ。一人は三脚も使っている。
神社で三脚撮影などするアマチュアカメラマンというのは、だいたいがジジイと決まっているのだが、最近は若い女性が撮影しているのをチラホラ見かける。お城巡りをしていても、女性が大型カメラで撮影しているのを見かけるようになった。スマホで自撮りをする女性はもはや観光地で当たり前の風景になっているが、一眼レフで(それもミラーレスの小型カメラではなく、重量級の大型上級機種で)撮影するのは珍しい姿だと思う。長い間、神社や城巡りをしているが、最近になるまで見かけたことがない。
おまけに被写体が神社だからなあ、などと自分のことは棚に上げて感心してしまった。確かに神社を撮影するには、光の加減を考えると秋から冬にかけての時期が良さそうだ。夏は、暑すぎることもあるが、湿気が多いせいか空の色が神社と合わない気がする。(個人的見解です)

新潟(越後)と富山(越中)の関係も含めて、もう少し歴史のお勉強をしなければ、なぜ富山に一ノ宮が4つもあるのかの謎は解けそうもない。おまけに、神社を撮影する女性カメラ愛好者が増えたわけはなんだろうか。二つ、宿題が残ってしまった。

余談として補足的にいうと、カメラマンという言い方は、ジェンダー問題とポリコレ的には危うい言い方で、メディアなどではもはや使われないのではないか。おそらくカメラー・パーソンというのが現代的には正しいようだ。歴史的に使われてきたカメラマンとの対比でカメラ・ウーマンと書いてみようと思ったが考え直した。
英語を含め西欧系言語には、マンが男性と人間という意味を持ち合わせているので、発生していいるジェンダー問題だと思う。マン・ウーマン問題は宗教的な側面もあるので、欧米では根が深い話題だろう。が、日本語では男性女性の差を含まない、いわば中性的な人間を表す単語があり、「撮影者」「職業撮影員」とでも書けば、男女の差はなくなる。「記者」や「筆者」などは「ライター」に対応する中性的な単語だろう。
ジェンダー問題を言葉の言い換えで済ませるのであれば、カタカナ外来語を捨てて、日本的漢字利用単語に変えていくというのも「あり」だと思うのだが。看護婦が看護師となったのは、意味ある変化だろうなあ、と思っております。ただ本当の問題はその先にあるのですけれどね。

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