
ソロキャンプの何が楽しみかというと、誰にも気を使わずに自分のしたい事をする。それに尽きる。それが料理であれ、昼寝であれ、誰にも何も強制されないことが重要だ。ファミリーキャンプとの違いは、あるいは友人とのキャンプと異なるのは、その「一人でわがまま」できることにある。
そして、自分がしたい事と言えば一択で「焚き火」になる。火遊びといっても良い。3時間でも4時間でもただただ薪を燃やし続ける。それだけだ。
ただ、陽が落ちて暗くなってくると、焚き火の灯りしかない暗闇の中で、ヒト族が原始の時代に刷り込まれた「火の記憶」が戻ってくる気がする。ひ弱だったヒト族が強靭な捕食動物から逃れる術、「火」を手に入れた。そんな時代の記憶がDNAに刷り込まれているのではないか、などと焚き火をしながら考えている。

その焚き火の脇に置くか細い照明がオイルランプだ。現在のキャンプギアであれば、もっと明るい照明はたくさんある。LEDライトなどは簡便でかつ明るい。ただ、照度の足りないオイルランプの、揺らぐ灯りが焚き火によくあう。生理的に心地良い。このあたりはソロキャンプ達人の受け売りに近いが、楽しみ方は達人から学ぶのが一番効率良い。遠慮なく真似をさせてもらう。

カセットコンロはキャンプギアとしては邪道のような気もするが、防災用にやたらと買い込んだカセットボンベが余っているので、スタイルなど拘らずに使っている。登山用のプロ仕様ギアに憧れたこともあり、コンパクトなガスストーブも道具としては持っているのだが、あまり使う気にならない。徒歩でキャンプに行くのであれば、ガスストーブも小型化を考えるのだが、車で行くお気楽キャンプしかしないので、最近は埃をかぶっている。
あとは、焚き火台とガス照明がキャンプギアの全て。簡素というか怠慢というか、道具にこだわりがないというか。

100均ショップで買った簡易型のボール(鍋ではないと商品説明には書いてある)で湯を沸かし、カップ酒を温める。ソロキャンプを楽しむのには、これだけあれば十分だ。こった料理をする気もしない。この日は、小型のスキレットで作ったコンビーフのアヒージョと、魚肉ソーセージをケチャップで炒めたものでおしまい。翌日の朝は、その残りをパンに挟んでホットサンドにした。コーヒーもドリッパーなど持っていかない。瓶入りインスタントコーヒーで十分と思うようになった。

サイトの上に荒川を渡る歩行者専用の橋がかかっていた。橋を下から見上げていると、「荒川アンダーザブリッジ」を思い出した。あの物語に出てくる、元気なホームレス住人になったような気がしてきた。確かにキャンプをしているつもりではあるが、周りから見るとホームレスぐらしとほとんど同じことをしているような気もする。
このキャンプ場も荒川沿いにあるから、「荒川」アンダーザブリッジという意味では同じだ。キャンプ場があるのは、荒川でも相当な上流に当たるが、荒川を流れ流れていけば東京と埼玉の境目くらいで、あの物語の場所にたどり着く。「荒川上流アンダーtheブリッジ」と「荒川下流アンダーtheブリッジ」みたいな違いしかないなと笑ってしまった。

日が暮れると、たかが歩道橋なのに、なにやら切ない景色に見えてくる。写真には写っていないが、背景には綺麗な星空が広がっている。そして、反対側の川岸には秩父鉄道が通っているので、列車が通過する音が聞こえてくる。都会であれば騒音にしか聞こえない通過音が、妙に心地よく聞こえてきたりするのが不思議だ。

キャンプ場の受付はハロウィーンの飾り付けでお出迎えだった。いつの間にかすっかり定着したハロウィーンだが、キャンプ場にお化けが出るとは思わなかったなあ。

ハロウィーンの後は、一気に冬キャンプになるのだが、この日からライトアップが始まったようだった。自分のサイトで焚き火の準備をしていた時に、工事の人たちがトラックでやってきてなにやら作業をしていた。木の伐採でもしているのかと思っていたが、ライトを設置していたらしい。

これはこれで綺麗なものだが、夜でも明るいキャンプ場というのは不思議な気がする。アウトドアは自然のままの暗闇を楽しむものだと思っていたが、どうやら最近のアウトドアは外で「明るい文明」を楽しむようだ。それも時代の変わり目に立ち会っていると思えば、一緒に楽しむべきだろう。おそらくクリスマスや大晦日も、ここは結構賑わうのだなと気がついた。

秩父には、今風のファッショナブルで楽しいキャン場もあれば、昭和中期で時間が止まったようなワイルドキャンプ場もあるようなので、次回はワイルド路線を楽しんでみようか。ワイルド路線は得意のつもりだが、課題はトイレだろうなあ……………