旅をする

越中国 一宮はたくさんある

高岡の北にある「氣多神社」は、富山湾を見下ろす山の上にある。海沿いの道から山に登る途中が、昔の国分寺が置かれていた一角にだった。その古代・中世の行政地に氣多神社は分祀されたようだ。もともと越中国は能登国の一部だったのが独立して、この高岡北部を行政地にした。そこに、能登国一ノ宮である気多大社の「支店」が開設されたということのようだ。となると、この神社は大和朝廷行政府の一部として新設されたのだから、元々の越中国の神様とは言えないのだろう。
越中土着の神様は、山側にある雄山神社と平野部にある高瀬神社におわすというべきか。古代朝廷の日本海沿岸統治の跡が、この氣多神社という理解で良いのだろうか。古代富山の謎は深い。(自分の勉強不足のせいだとも言える……………)

駐車場から拝殿まではかなり厳しい登山になる。国分寺は山の麓につくられ、神社は山の上というのは、なにやら大和朝廷の陰謀かと恨みたくなる。勘繰ってみれば、便利の良い一等地は「寺」に、山そのものや大樹を御神体にすることが多い「神社」は山の上に。そんな古代行政の「忖度」があったのではないかと、山登りをしながら八つ当たり的に考えていた。当時は国家仏教が前世になっていく時代だ。寺重視政策が取られていて不思議はない。
初詣には、この急な坂道を高岡市民が行列して登るのかと思うと、気の毒な気もする。古代の陰謀が現代に及ぼす影響だ。

山の中腹にまで登ると(おそらく中腹だろうなと思っただけだが)、拝殿にたどりつく。ただ、中腹のあちこちに平らな場所を作り、そこを階段で結ぶような格好になっているので、境内が平たいわけではない。斜面に配置された分譲別荘地のような散らばり具合だ。

お参りをしてから御朱印をもらうには、また山道を降りて駐車場の下にある社務所にいかなければならない。社務所がこれだけ離れた場所にあるのも珍しい。志摩国一宮「伊射波神社」ほどではないが。越中国には色々微妙な事情がありそうだなあ。

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