旅をする

若狭国 行けない城だった

この城も典型的な山城で、城跡にたどり着くのは難儀な登山になるようだ。城への登口には、誘導するようにノボリが立てられていた。ちょっと前であれば、このノボリに釣られてどんどん山の方に行ってしまったが、最近は「疑う」ことを覚えたので、このノボリは怪しいという危機察知ができるようになった。おそらく、探すべき場所はここではない。

駐車場に車を停め、なだらかに続く坂道を200mほど上がっていくと、そこに資料館らしきものが見えてきた。お決まりの城キャラ撮影ボードもあるので、ここが目的地らしい。危なかった。危うく山中彷徨をしてしまうところだった。しかし、駐車場には案内板を置いて欲しいものだなあ。

この建物は、元の奉行所を再現したものらしい。詳しいことが書いてある説明板はありがたい。特に、城周りの地勢を描いてある図が素晴らしい。これを見れば、城跡に行くのがどれだけ難儀かよくわかる。

気分的には城周りの柵を模したようなディスプレイがあった。確かに戦国期の城はこんな感じだったのだろう。城壁が石垣とは限らない。泥で作った土壁でも、粘土で固めて上から水をかけ泥状にされたら、城攻めで登ることも容易ではない。下手をすれば滑り落ちて味方を巻き添いにするコメディー詠歌のワンシーンみたいなことになる。昔々に見たドリフターズのコントや、風雲たけし城そのままの後継だろう。
確かに、山城周りは木も切り倒されツルツル斜面になっていたはずで、この場所は史実に基づいた再現ではないかと興奮したのがだ、どうもその手の説明書きが見当たらない。ひょっとすると山の斜面を造成するときに無造作に放置された跡かもしれないなと気がついた。うーん、正解はどちらだろう。
やはり城周りは気がなかったと思いたいのだが。そして山城が放置されて百年も経つと生えてきた木々に埋め尽くされているというのが、今の城跡ではないのだろうか。この辺を某国営放送で解説してくれないものだろうか。

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