旅をする

八幡山城は恋人の聖地だった

琵琶湖東岸に散在する百名城の中で、とびきり変わっているお城が八幡山城だ。織田から豊臣に政権が移った後に築城された。それもとびぬけて高い山の上で、似たような城は織田氏の岐阜城だろうか。岐阜の郡上八幡城も似たような山上の城だった。
城に上がるには、登山道を登るかロープウェーを使うかだが、そもそも歩きで山登りは選択肢にない。ロープウェーの乗り場手前には八幡宮がある。それなりに由緒正しい場所なのだ。

平地からぽこりと立ち上がっている山なので、ロープウェーで登っていく時に琵琶湖東岸の平地が見渡せる。ここが商人の街、近江八幡だった。地面を車で走っていても分かりにくいが、山の上から見渡すと琵琶湖東岸地域の地政学的な意味がよくわかる。
普段はマップを見ているだけだが、グーグルアースを使って鳥の目視点になると、地形と地政がよくわかる。それが自分の目で「リアル」に見えてくるのは、なかなか感動の体験だった。

何枚か写真を撮っていたのだが、この写真の右側にあるのが安土山周辺部で防衛拠点として眺めると、なるほどなあという気分になる。

ロープウェー山頂は散歩コースになっている。登ってくる時に見た琵琶湖東岸とは反対側に回って行けば、眼下に琵琶湖が一望できる。確かに、これは城巡りとは別格な「普通の観光地」だった。秋には紅葉が楽しめるそうだ。しかし、羽柴政権になり、戦国時代が終わりかかっている時に、こんな山の上に城を立てる意味があったのだろうかという、ささやかな疑問が浮かんでくる。

石垣の石は小ぶりなものが多いが、この山の上まで運んだのだから、大きな石を使えるはずもない。微妙に形が平たいものに偏っているが、これも運搬の都合上だったのだろうか。今の時代に同じものを作ろうとしたら、石の運搬だけで専用道路を作ったりするはずで、10億円単位で金がかかるの建造物になるだろう。などと山頂の石垣を見て思ったことだ。

その石垣の隣のコンクリート製ロープウェー駅が、なんだか不思議なものに見えてくる。そういえば、この駅を建てる時に資材はどうやって運び込んだのだろう。昔の漫才ネタ、地下鉄車両はどこから入れるかみたいな話だなと、セルフツッコミしてしまった。

山頂駅からちょっと登ったところに展望台がある。その展望台に、あまりに秀逸というか「すごい」ことが書いてあった。幸せひろがれプロジェクトは良いと思う。綺麗な景色を見れば、誰でもそれなりに良い気分になる。しかしだ、なぜ恋人の聖地? という疑問が沸々と……………
まあ、日本全国に恋人の聖地を名乗るところはたくさんある。鐘を鳴らしたり、鍵をつけたり、愛の誓いのやり方も色々だ。
だから、琵琶湖の西に沈む夕日を見て、愛を語るというのも、多分「あり」なのだろう。しかし、ベタすぎる場所という気もするのは、こちらが歳を取りすぎたせいに違いない。

恋人の聖地についてあれこれ考えた後、あたりをぐるっと歩き石垣をみると、やはり恋人の聖地というより戦国武者の夢の跡という気がしてきた。恋人たちも、殿様も高いところがお好きなようだ。

この石垣を作った人たち、石を運んだ人たちにとって、この山は愛しい人を想うよりも、石の重さに辟易したのではと、ちょっと意地悪く考えた。愛の形も時代で変わるのだね。

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