旅をする

近江国一宮で考えたこと

近江国一宮は琵琶湖南岸、京都に程近い場所にある。古代日本の中心が奈良から京都に移って行った頃、琵琶湖周辺から尾張にかけての地域は大和朝廷の勢力限界だったようだ。大和朝成立時には、尾張の豪族連合が支援したという説を読んだことがあるが、この地域を回ってみるとなるほどなと思う。
今回、愛知県東部と三重県を車で走ってわかったのだが、尾張・伊勢・近江は意外と近い。おそらく首都である奈良や京都と、徒歩2−3日で行き来する朝廷直轄地、支配地域だったのだ。
その首都周辺で防衛拠点を担った、あるいは東征の進発拠点になったのが、琵琶湖南岸であったと考えられる。そこに近江一宮が置かれたのだろう。
この先の場所から東に進むと、関ヶ原近くで美濃国一宮があり、そこから徒歩一日もかからない場所に尾張一宮がある。古代日本の大動脈は瀬戸内海路だったが、陸の要路は奈良から伊勢に抜ける山道(現在の国道1号)と琵琶湖東岸から関ヶ原を抜け尾張に至るルートだった。それが東海道と中山道だ。この神社は中山道方面の拠点だったということだ・

その近江一宮「建部神社」の参道に、何やら今風な看板があった。神社の由来をイラスト物語で解説している。妙にリアルな現代イケメンと現代風美女イラストに、なんと感想すれば良いのか微妙すぎる。若い人向けには「映え」狙いの神様として受けそうだ。
しかし、ルックスより重要なのは、祭神が「日本武尊」と「大己貴尊」という、これまたなんとも微妙な神世界のバランスをとったものだ。征服王朝のシンボルであるヤマトタケルとあわせて、出雲系神族のボスであるオオナムチもまつるという。古代大和王朝の占領政策が露骨に現れている感じがする。やはり近江国一宮は王城の地に近いだけあり、軍事拠点でありながら政治都市だったのだと思わせる。

ドローン空撮の写真もあり、おまけにイラストを使った大津絵変化キャラも登場しているので、建部神社はなかなかビジネスセンスがある「オヤシロ」らしい。個人的には、一ノ宮が賑やかしいのは良いと思うので、若い人向けにパワースポットとしての人気を盛り上げる努力は是非進めてほしいものだ。神社の維持にも金はかかる。寄付だけではなかなか大変だろう。

そんな参道を抜けると、正統な神社と言っては失礼だが、実に伝統的な建築物が登場する。

拝殿も屋根の形からすると、正統大和朝系のもののようだ。心を沈めお参りしようという気になる。神社の屋根を見て厳かな気持ちになるというのも変なものだが、神社や寺をみて「美」であったり、「安らぎ」などを感じるようになるまでにはずいぶん歳をとる必要があった。高校生の修学旅行でこの感覚を理解しろというのは、「ヒト族」の生理として無理だろうと思う。

ちなみに、この神社の駐車場は社務所の裏手にある。大変便利な場所なのだが、入り口が分かりにくい。おまけに、再三書いているが、古いナビでは神社の裏手にある山沿いの住宅地に連れて行かれた。どうも同じ被害に遭う人は多いようで、住宅地のあちこちに注意書きが貼られていた。地図屋が悪いとは言わないが、ナビ制作会社はロジック見直したほうが良いと思うぞ。そのうち、みんなGoogleマップしか使わなくなり、車載ナビは音楽業界のCDみたいな「存在するが売れない」商品になってしまう気がする。

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