旅をする

伊勢神宮とおかげ横丁

五十鈴川にかかる橋を渡るときは、いつでもちょっと気分が上がる。別に日本人のDNAがとか、日本人の精神世界の原点が、などというつもりはない。単純に電線のない世界に川と森が広がる姿は美しいなと思う。それだけのことだ。
伊勢神宮の周りは、駐車場を探して随分とぐるぐる回った記憶がある。神宮の森の外は、普通に現代日本の住宅地が広がっている。ここだけが、どこか隔絶された感じはあるのだけれど。門前町の賑わいを見れば、やはり現代日本の風景でしかない。

それでも、都市部でありながら清流が流れている川というのは珍しい。生活排水が流れ込まない自然なままの川というのは、今や日本で希少なものになっている。四万十川や仁淀川など、高知県の有名な清流も下流に行けば普通の川になってしまう。昔は天然の難所であった大川である天竜川や大井川も、今では治水対策の成果で、夏には河床が見えるほど水が枯れる。昔ながらの綺麗な川というのは、意外と少ないのだと思う。

拝殿に向かう途中で見かけた光景だ。こもかぶりというか日本酒の樽がドーンと陳列されていた。どれも献上酒なのだろうが、見たことのない銘柄が多い。まだまだ知らない日本酒は多いのだなと、変なところで変な関心をしてしまった。この中に、サントリーとかニッカのウイスキーダルが並ぶと面白いだろうなあ、などと思って笑ってしまった。オーク樽を白い縄で固く縛り……………見てみたいな。
他の神社でもこの樽酒のだいちんれつはみたことがあるが、やはりこれだけの数の酒蔵が並んでいるところはない。諏訪大社でも、これの1/3くらいだったように記憶している。やはり、「The 神宮」の貫禄だろう。

伊勢神宮門前町といえば良いのだろうか、おかげ横丁は初めてみた頃から随分と広がって大きい街になったような気がする。景観作りがうまいのは、琵琶湖のほとりにある長浜黒壁もそうだが、西日本的なデザインセンスのせいだろうか。首都圏というか東国ではこの手の街づくりセンスが欠如している気がする。地元埼玉では小江戸川越などといって観光地化しているところもあるが、トータルのまちづくりとしてはチグハグで物足りない。徹底どの違いであり、街の住民や商売をやるものたちのコンセンサス、合意形成が難しいのだろう。単純に「わがまま」なだけという気もする。
グランドデザインを立てるのが、東国人は下手くそすぎるのか、真面目すぎて遊びが足りないのか、あるいはリーダー不足なのか。
神宮手前の赤福を見るたびに、そのあたりの違いがわかってしまう。

しかし、赤福で新製品が出ていた(らしい)のには驚いた。それもサブレーというから、和菓子ではないのだな、とこれまたびっくりした。和菓子老舗の革新というのは、みるからに戦闘力がありそうだ。ひょっとすると近い将来、「あんバタ赤福」が出現しそうな気がしてきた。老舗も変化を求める、いや老舗こそが進化を求める時代なのだと実感した。

この横丁も夕方になれば人通りも減る。歩いているのは修学旅行に来た中学生の姿ばかりだったが、それはそれでめでたいことだ。修学旅行が復活したのだから、コロナの大騒ぎが終了しつつあるということだろう。
いつもこの横丁でお世話になっている「白鷹」を販売する酒屋に立ち寄った。そうしたら、なんと向かいの店がスタバになっていた。古き良き酒屋とスタバが「ニアリーイコール」なルックスになっている。これも現代の門前町だなとあらためて感心した。できればスタバで赤福とコラボした「あんこラテ」みたいなものが飲めるようになれば楽しいなと思った。(確かめていないので、定かではないが、すでにご当地ラテとかご当地フラペチーノはありそうだ)
ただ、まだスタバのない町からお伊勢参りに来た中学生が、このおかげ横丁で生まれて初めてスタバにはいって、その「赤福ラテ」を注文したら、人生ではそれなりに重大な勘違いを(赤福にもスタバにも)してしまいそうな気がする……
横丁の大人の皆さん、ぜひそのあたりを、特に青少年に対する心遣いをお願いします。

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