
伊勢志摩、お城巡りの旅で宿泊地を伊勢のホテルにした。ここまできたらお伊勢参りをしないで済ませるという選択はないと思ったからだ。「伊勢へ七度、熊野へ三度」というらしいが、これで伊勢神宮へは5度目のお参りになる。7度目までもう一息だぞ、とちょっとやる気が出てきたりもしたのだが………
そんなに何度も通ってきている伊勢だが、実はいつも通過するだけで泊まったことがなかった。今回は車旅なので、駐車場付きのホテルを選んだが、思っていたより駅前繁華街より遠い。ホテルの方に聞いて近場の居酒屋を訪ねることにしたが、それでも徒歩10分ほどの距離だった。知らない街で暗い夜道を歩くと迷いやすい。案の定、通りを一本間違えたらしく、ホテルでもらった地図を何度も見返すことになってしまった。
ようやく辿り着いた居酒屋だが、この通りで明かりがついているのはこの店くらいで、他の店は休業日らしい。

手書きのお品書きを眺めながら、熱燗で一杯やり始めた。できればその土地のものを食べたいなと思っていたが、伊勢といえば「うどん」と「てこね寿司」くらいしか思い浮かばない。とりあえず海の近くだし、魚はうまいだろうと信じるしかない。

刺身の盛り合わせを頼むと、一人前にちょうど良い量が出てきた。マグロは「生」のようで、ねっとりとした歯触りがある。この日はカンパチ推しの日だったようで、いろいろなカンパチメニューがあった。その刺身を食べてみると、弾力のある歯応えがしっかりしたプリプリだった。名前だけ見れば全国どこでも食べられそうなものだが、これはこれでうまい。

品書きの中に「伊勢の地物」的説明があったのが「さめのたれ」だった。房総では「くじらのたれ」というビーフジャーキーのような干物を食べたことがある。伊豆のどこかでは「いるかのたれ」と言って、やはり似たような味のジャーキーが名物だった。
「さめ」だから、それと似たようなものかと思ったが、食べてみるとぎっしりと身の閉まった、半干物というか適度に水分の抜けた塩味の白身魚という感じだ。一言で言えば、味が濃い。濃縮された魚の旨味という感じだろうか。さめという言葉で連想していた臭みは全くない。熱燗によくあう酒の肴だ。鮫は全国どこでも取れそうなものだが、名物料理としてはあまり聞かない。
食べていると店主が説明してくれた。サメの肉は柔らかいので、竿で干していると身がだらりと垂れるから、タレと呼ぶそうだ。伊勢では普通の食べ物でスーパーでも売っている日常品らしい。伊勢参りに来る参詣客をもてなす「伊勢料理」の中に組み込まれているそうで、サメのような見た目の悪い魚でも、おもてなしのために美味しく仕立てるということが、「伊勢ホスピタリティー」の表れだという。
疲れた旅人を待たせずに食べさせるよう開発された「伊勢うどん」と似たような発想のようだ。根底にある「もてなし」の心が、伊勢参りの人気を支えた、伊勢の人の心意気だろう。同じもてなし精神が商売に向かえば、顧客重視の視点で商品開発、提供法の改善といったところにつながる。中世日本で商業を支えていた近江商人や伊勢商人の商業観、そして商道徳は、そんな「もてなす文化」にあったように思えてきた。
改めて言うまでもないが、全国あちこちにまだまだ知らない「絶品な食べ物」があるのだなあ。グルメ番組よりも居酒屋店主の目利きが信用できる。伊勢の夜はなかなか幸福でありました。