旅をする

一之宮 最大の難所と遭遇

志摩国一ノ宮は、海の近くにあり、それも崖の上にあるらしいと、事前の下調べで分かった。参詣するのにどこで駐車をすれば良いかとか、そこから歩いて30分かかるとか、色々と勉強したつもりだった。ただ、「一宮」であり、古代中世を含め、その国の住民が皆参拝に行った由緒正しい神社なのだから、そんな僻地、難所にあるはずがないと思っていた。難所にある唯一の例外は、富山の立山山頂付近にある雄山神社くらいだろう、と思っていた。その雄山神社でも麓の方に、別の社を備えていて、足弱な参詣者に対して便宜を図ってくれている。よもや国を代表する一宮が、お参りするのもたいへんな不便な場所に、それも修験者しか行けないような場所にあるはずがない………などと甘く見ていた。

山道を行くのは分かっていたが、参道?入り口近くの表示を見て、もう少し慎重に考えるべきだった。片道30分かかるということだが、平地で普通に歩けば30分で2kmくらいは歩けるはずだ。それが、1kmに満たない距離なのに30分かかるというのだから、当然のように歩きづらい、歩行距離が出ない場所だということだ。
富士山だって、高さは4kmに満たない。平地で4kmを歩くのはのんびり歩いても1時間程度のはずだ。山登りであり、距離だけで言えば斜面を登るのだから、直線の4kmより長くはなる。距離が倍になったとしても8kmだ。しかし、富士山を登るためには何時間かかるか。山を登るということに対して、その手の想像力が足りなかった。

かなり高い丘を上り下りをすると、すっかり息が切れていた。そこには綺麗な海水浴場があった。防波堤があるが、それ以外には何もない。海水浴をするために、この山登りをするのかと思うと、気が遠くなる。海水浴をする前に登山などしたいものはいるのだろうか。確かに、プライベートビーチっぽい隔絶感はある。ただ、あたりを探しても見当たらなかったのだが、トイレはどこにあるのだろう。しかし、ここまでの道のりはまだまだ前哨戦だった。

海水浴場の脇が、正式な参道にあたるらしい。その入り口に、なぜか竹の杖が無造作に置かれていた。最初は何があるのか分からなかったくらいだが、よくよく見るとさまざまな長さの使い込まれた竹の杖のようだ。じんわりと嫌な感じがしてきた。杖が欲しいほどの急坂なのだろうか。とりあえず「転ばぬ先の杖」と思い、長めのものを一本持っていくことにした。

ここから、高さが不揃いな石段というか登山道を登ることになった。二百段くらいまでは数えていたような気がするが、その後は数えるのを諦めた。高さで言えば100mくらい登ったような気もするが定かでない。途中から杖を使い始めた。よく見る登山映像のように、両手に杖を持った方が登るのには良いという気がしてきた。杖一本は平地の補助、登山の補助には両手持ちだと、初めて理解した。
石段の高さが不規則で、おまけに滑りやすい。昔の街道はこんな感じだったのかなと思う。熊野古道歩きがブームになっているようだが、こんな道を登り降りするのであれば、古道巡礼はしっかりお断りしなければと確信した。
何度も立ち止まり、ここから帰ればずいぶん楽ができるのでは、という誘惑にもかられた。1km弱の距離を30分かかるというのは、こういう意味だったのだ。結局、神社前にたどり着くまで30分以上かかった。杖がなければ、途中で逃げ出したような気もする。

ほぼ、息も絶え絶えという感覚で辿り着いたのが山頂というか崖の上にある鳥居前だった。本当に、志摩国の領民はこの山登り、崖上りを延々と行ってきたのだろうか。そもそも、これは修験者のための神社ではないか……………

ようやく辿り着いた拝殿は、予想以上に簡素だった。確かに、この山の上に社を建てるのは、材料運びもしんどいが、建築する大工も毎日登山になるのだから、さぞかし難儀な現場だろう。などと変なことに感心してしまった。ありがたいことに、この鳥居の正面にベンチが置いてあった。お参りする前にベンチで休憩しなければ気力も湧いてこない。せめて水くらい持ってくるのだったと、また別な後悔をすることになった。
当然のように宮司さんは常駐していない。中に入ると、御朱印のもらい方が掲示されていた。まず電話で別な場所にいる宮司さんに連絡を取り、山を降りてから指定の場所に行く。そこで、御朱印をもらうという手順だった。

また、30分かけ山を降り(このときには足がガクガクでひさが笑う状態だった)、車の運転をする前に足を揉み解し、乾き切った喉を潤すべくたっぷり水を飲み、それから気力を振り絞りつつ慎重に運転した。5分もかからずに指定場所に着いた。御朱印はすぐにもらえたが、その後は移動するのが嫌になった。

目の前が小さな港になっていて、漁船が何隻か泊まっていた。湾の中なので波もなく穏やかな志摩の海だった。しばらくぼうっと海を見ていたが、そのままでは動けなくなりそうなので、無理矢理に車へ乗り込んだ。
おそらく一宮巡りでは、ここが最難所だろう。もう一度行けと言われたら、はっきり断りそうだ。秩父札所巡りをした時も、登山しなければいけないお寺があったが、アレの数倍のしんどさだ。感覚的には金毘羅様を登った時に近いが、あれと比べても倍くらいしんどいかもしれない。古代の日本人は、あんな山登りが当たり前だったのだろうか。
大和朝時代や中世に志摩国でお住まいだった方々に、この辺りを是非聞いてみたい。現代人はひ弱だと言われるだけのような気もするが。

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