旅をする

金沢城の風格 そこで見た夢

金沢には何度も訪れた。仕事で行ったことも多いが、観光にも行っている。金沢の名所はだいたい見て回ったはずだ。ところが、なぜか金沢城だけは行ったことがない。隣の兼六園には何度も行ったのだが。お城に興味がなかったと言えばそれまでだ。
今回は石川門という兼六園よりの入り口からお城を見に行った。

金沢城の全体を見るには半日かかりで歩き回る必要がありそうだ。よく広さを東京ドーム何個分みたいな表現をするが、この全体図を見る限りドームの2個や3個では足りない気がする。昔、真夏に兼六園を見に行って暑さで死にそうになって退散した記憶が蘇る。兼六園ですら見切れなかったのだから、金沢城全体を見て回るのは大冒険だろう。

お城の門は、ある意味侵入者の防御施設なので、小ぶりな城でも門は大仰なものだ。特に復元したお城では、門が大きめに作られている気がする。ただ、この金沢城の石川門は石垣と合わせるとほぼ原寸に違いない。門扉をしみじみ眺めてみたが、厚みといい頑丈さと言い、破城のための専門道具が必要だというのがよくわかる。

おまけに門を攻め落とそうとすると、門扉の上にある白壁に開いている矢間から、弓矢や鉄砲で撃退される。時には大きな石を投げてきたり、煮えた油や熱湯をかけたりもするから、攻めようとしてもそう簡単にはいかない。
攻城戦では、守備方の兵に対し3倍以上の人数で攻めても、城は簡単に落とせないというのは本当だなと思う。門の上から矢を射かけてくる弓兵一人を倒すのに、こちらは三人やられてしまうという計算だ。勝つためには二人やられる前に弓兵を仕留めなければいけない。
これは難しい算数だし、ほぼミッション・インポシブルのような気がする。おまけに門の脇にある石垣は、現代コンクリート建築のように表面がなだらかで、ロッククライミングの達人でも、このすべすべな石垣を登るのが難しそうだ。

あちこちで城を見てきたが、これほど石垣表面が平らな城は珍しい。江戸城の石垣を除くと、この金沢城くらいではないだろうか。ジグソーパズルのようにパーツを磨き上げてはめていくのは、もはや実用技術というより美術品に近い。
石積み職人の数も必要だろうし、さぞかし金がかかったことだろう。金持ち大名だけができる金満築城術であり、最高品質、プレミアでゴージャスなお城だ。さすが戦国時代の最後を信長、秀吉、家康と三代に渡りあい、そして生き残った前田家の産物と感嘆する。すごいな利家。長生きもしたし、すごい武将だったのだね。

門内はただただ広い。今では広場になっているが、当時は御殿の一部が立ち並んでいたのだろう。内堀もあるので、攻め込まれた時には防戦拠点として、第二次防衛線にあたる場所だ。この広場に立ち並んだ陣地は、縦深防衛拠点として脅威だっただろうなあ。

内堀に面する石垣も、それなりに表面を加工された手がかりのない石垣になっている。矢間も二層になっているし、内線防御になると兵密度は上昇するから、攻城戦を仕掛けてみても、一段抜けばまた一段見たいな「もう勘弁してよ」と言いたい状況になる城だ。
この第二線を抜いて本丸に辿り着くには、また一段レベルアップした仕組みが待っているのだから、金沢城攻めは一年かかっても攻め落とせないのではないかと思う。
戊辰戦争の時に福井と金沢で松平、前田が西軍に抵抗したら、そして冬季戦にまで持ち込まれたら、西国反乱軍は負けていたかもなあ、と思う。
おまけに福井から金沢に向かう山越の道は、兵站維持のためにはとてつもない障害になるだろう迂回路として海路による兵站維持を考えれば、金沢に近い港を制圧しなければならない。
他の陸路としては、中山道から富山に抜ける陸路、新潟から富山に至るルートも考えられるが、どちらも山越えの難路で、おまけに日本海側は有名な親知らず子知らずが待っている。
考えれば考えるほど、金沢城は日本海沿岸部を侵攻する軍にとって、とてつもない障壁になる。やはり徳川政権は最後の将軍が武断派でなかったから滅びたのだろう。

金沢城防衛戦を妄想しながらあちこち見ていたら、この内堀の底は深い泥で、入り込むと1mくらい体が沈むようになっていて、足が取られて動けなくなった兵に上から大きな石を投げつけるみたいな想像をしてしまった。そうして倒れた兵士を足場にして押し寄せる敵軍、そこに上の矢間から……………
金沢城で前田家1万人が籠城戦を始めると、西国軍は4−5万人を投入しなければならないので、兵員不足で東国戦線が形成できない。そのうち徳川系諸藩があちこちで呼応して反抗戦を始める。
そうなると京都にいる天皇・公卿を防衛するため戦線が琵琶湖周辺まで後退し、第二次関ヶ原勃発。そこへ英仏がそれぞれ西国連合、徳川に加担して欧州利権の代理戦争に発展し……………

金沢城ですっかり歴史IFを楽しんでしまったが、その妄想を引き起こすくらい金沢城は巨城だった。夢のまた夢であることには間違いないのだが、戊辰戦争の時に前田の殿様はそんな夢を見なかったのだろうか。

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