
全国百名城を巡る旅、というか名城スタンプラリーは、本編、続編を合わせて200城が対象になっている。北は根室から南は沖縄本島まで、コンプリートすると認定証がもらえるというのが唯一のご褒美。(それだけ、と言えばそれだけなのだが)
その城巡り、東日本分も残すところ残りわずかになった。東日本の定義は、自分で勝手に京都より東と決めているので、北陸三県と滋賀、岐阜、三重が東西の境界になる。コロナのせいで2年半以上活動中止していたがようやく再開できた。(コロナ期間中はお城の閲覧自体が中止になっていることもあったせいだ)
今回の城巡り旅で最後に訪れた城は「富山城」。城址は公園になっている。都心部でこれだけ広々とした場所は貴重だ。あちこちで年代性別を問わず、散歩をしたり野遊びをしている。
だから、城址の前に立って写真を撮っていると、いきなり若い女性の歓声が聞こえてきた。なにごとだとあたりを見渡してみたら、チアガールズの大集団が練習中で、やたら元気が良い。周りの散歩客も立ち止まってみていた。よくよく観察してみると、チア集団以外にカメラクルーがいる。どうやらチアガールの「応援パフォーマンス」を撮影をしているらしい。ひょっとすると観光客向けPVでも撮っているのだろうか。どうも声が小さいというような注文がついているようだった。お城の前で若い女性の大歓声を聞いたのは初めてだった。すごいな富山。ふと疑問に思ったのが、富山にはチアダンがいるのだろうか……………

全国に残る城址の大部分は、公園になっていることが多い。都市部であれば貴重な開放スペースになっている。人里離れた山の上にある場合は、ひっそりと石碑が残るくらいだが、それでも展望台くらいは置かれている。
県庁所在にある場合は、入場料をとって観光名所になっていたりもするが、富山は誰もが使える普通の公園だった。北陸で比べると、石川県では金沢城が完全に観光施設になっている。福井県はお城の中が県庁と神社になっていた。同じ「越の国」でありながら、この三県の差が面白い)
現在の富山城は復元されたものだが、その下部にある城壁、石垣は昔のものが保存されている。全国にある復元されたお城もほとんど石垣は建設当時のままだ。よくもまあ、人力だけでこんな大きな石を積んだものだといつも感心する。
富山城石垣には人の背丈を超える巨石もいくつか使われていた。築城当時の城主が金持ちだったのだろうな、と別の部分にも感心した。端正に形を揃えた石が積まれている積み木細工のような城壁は建築美の極みと言って良いだろう。

ところが、富山城の石垣には、もう一つの面があり、こちらは大きさがまちまちの石をゴテゴテと盛り上げたように見える。素人目にも崩れやすいのではと思うのだが、当時の職人がそれなりの経験で作り上げたのだろうから、これはこれで大丈夫なのだと納得することにした。
しかし、大きな地震がくると崩れそうな気もする。あの熊本城でも石垣が崩れていたしなあ。

城郭を見る時、石垣の美しさは独特のものだ。そして、このお堀に面して立ち上がっている「角」の曲線こそが美の極み。なだらかなアーチ型の角、稜線はいつみても感動する。これも石垣の高さが関係するのだろうが、お城によって微妙にカーブが異なっている。それを見るのが、城めぐりの楽しみの一つだ。
江戸城(正しくは?千代田城というらしい)の石垣は、流石に天下統一した最高権力者が作ったものだけあって、巨大で荘厳なカーブだが、個人的には富山城くらいの石垣が好みなのだ。

石垣の上は歴史博物館のようになっていて、昔使われていた鬼瓦や屋根瓦が展示されていた。瓦を使うのは「火攻め」の防御策だったなあ、と美的感想とは全く異なることを思いだした。それもまた、城めぐりらしい……………