
新潟県はJRが複雑に入り組んでいる。隣の山形、福島、富山、長野などに接続するローカル線の密集地帯であり、その乗り換え駅が健在に散財しているせいだ。全部のローカル線が新潟に集中していれば放射状に広がる路線網になるはずだが、当然のようにそんな都合の良いことにはなっていない。
おまけに県内完結の路線もある。それがこの弥彦線だ。弥彦神社に行くためだけにあるようなものだと思う。川崎大師に行く私鉄がこんな感じの「お参り専用線」になっているのを思い出した。

駅前の広場にはドーンと歓迎のサインがある。門前町という勢いがある。ただ、不思議なことに駅前には食堂もなければ、土産物屋もない。荷物を預けるコインローっカーはあったが、その数も少ない。どうやら、お参りするのに鉄道でくる客は多くないみたいだ。同じ列車で降りた客は十人程度、それもほぼ高齢者(男性比率高し)だった。若い女性が集まるところでなければ、「お店」は成立しないのだなと改めて思う。

駅は神社風デザインが施されたシックな感じで、これはJR東日本、良いセンスをお持ちだ。出来れば駅の改修時に、その駅の独自性を発揮するデザインに変えてもらいたいと常々思っている。
日本の駅の中で、最高の建築美を発揮しているのはJR金沢駅だと思う。東京駅丸の内川もなかなかシックだが、現代風デザインというのであれば京都駅が数段優れている。それを遥かに凌駕するのは金沢駅で、建築とは美の様式だと納得させるものがある。全国の新幹線駅を含め大きな駅はほとんど見たと思うが、金沢駅に勝る「秀麗」な駅を見たことはない。
この弥彦駅に似た、デザインに感銘する小体な駅として思い出すのが、出雲大社近くにある私鉄の駅だろう。昔そのままのレトロ感が対称的な美しさだ。

駅から神社まではかなり歩く。この日の気温は30度を超えていた。おまけに神社まではダラダラ続く登り道で、ほとんど苦行と言いたい。確かに神社に車で乗り付けるのが現代風というものだろう。ヒイヒイ言いながら坂道を登っていくと、神社の近くにはホテルや旅館が密集していた。なるほど、車で来てお参りをしたあと、ここに泊まれば良いのだと納得した。長野善光寺門前の宿坊みたいなものか。

神社と駅の中間くらいに複合観光施設というか道の駅的な設備があった。神社周りには土産物店も少ないし駐車場がないせいだろうか。名物のパンダ?の土産物の店があり、その向かいが複合施設だった。
どうやら交通道徳のかけらも持たない大人が、この界隈には大量出現するらしい。小学生が見たらトラウマになりそうな標語だ。大人とは、知性と徳性が劣化した「痴的存在、稚的生物」らしい………

全国にある一ノ宮だが、国によってはずいぶん寂れている神社もある。昔から続く信仰も、地域の盛衰や国の中心が変わることで参詣者が減ることもある。神様の世界も競争社会なのだろうか、などと不敬なことを考えてしまった。越後一ノ宮はなかなか不便なとことにあるが、それを跳ね除ける力があるようだ。

この日はたまたま「祭りで踊り」を舞う若者たちが、お参りに来ていた。奉納の踊り集団らしい。若い人たちが詣でる神社はこの先も長く栄えていきそうだ。

弥彦線は弥彦が終着駅で、終着駅ファンとしては嬉しい。ただ、どうも終着駅感がない。もっと先まで伸ばす予定でもあったのだろうか。おまけに、ホームの長さは普通ではない。来た時は2両編成だったが、どう見ても5−6両編成の列車が止まれそうだ。新潟から乗り継いだ吉田駅のホームも長かった。初詣の時の増設臨時列車向けなのか。
乗り鉄は想像力だけで、ホームの上でも妄想で楽しめる存在なのだなあ。