
珈琲の街と書かれてある。ちょっと意外感があったのだが、文明開化の時代に弘前は津軽の中心地として、ハイカラ文化が花開いたそうだ。太宰治を生み出した冬の雪で埋め尽くされた平野と思い込んでいたが、先進的な農業で経済を活性化させた、つまり金持ちの多い文化都市だったらしい。今でも市内に数多く喫茶店があるようだ。

8時になるとようやく喫茶店が開店し始める。そんなモーニング営業をしている喫茶店を見つけて、散歩の休憩をした。朝のコーヒーは、やはり伝統的な(笑)喫茶店が良い。現代風の立ち飲み珈琲屋は好かない。コンビニコーヒーも、朝向きではない気がする。ただ、弘前城前のスターバックスは建物が昔の官舎を改造したもので、あれは風情がある。数少ない例外だ。

外観は渋い煉瓦造りで、これは最近の壁だけレンガ貼りました的な模造品とは違っている。本物の煉瓦を積んだ外壁だろう。

歴史的建造物として認証されている由緒正しきビルだ。大正から昭和初期にかけて、こうした洋風ビルディンが全国津々浦々で建設されていた。昔懐かしのモノクロ映画でよく登場する。

同じビルの中に、これまたおしゃれなラーメン屋が同居している。ただ、ここにはコロナ前の時期によく通っていた洋風居酒屋があった。居酒屋だったのか食事ができるバーだったのかはちょっと微妙だ。ともかく、シェイカーを振って作るカクテルが飲める店だった。弘前のお気に入りだったのだが、今はラーメン屋になっている。コロナで廃業したのかどうかはわからない。おそらく全国のあちこちにある、馴染みの店も大半が閉店しているのだろう、と思わされる光景だった。
このラーメン屋も一度は行ってみるべきだろうとは思うのだ。ひょっとしたら居酒屋が変身してラーメン屋になってはいるが、相変わらずカクテルが飲める店なのかもしれない。(そんなはずはないか)

喫茶店の中はカウンター席とテーブルがふたつというこじんまりした作りだった。一度来たことがあるような気もするが、記憶には残っていない。タバコの匂いがする、昔懐かしの喫茶店だった。

ブレンドコーヒーを注文すると、砂糖壺とミルクピッチャーが出てきた。これも、今は消滅したような光景だ。喫茶店で砂糖は細長い紙包装ものに変わっている。たまに角砂糖がコーヒーソーサーに乗っている店もあるが、それもすでに発見困難な化石喫茶店だ。
シアトルコーヒーの店は、たいていが使い捨ての砂糖、クリームetcで、あれはやはり喫茶店ではなく別のコンセプト、カフェというものだろう。朝の散歩途中に、こういう魅力ある「喫茶店」に立ち寄れるのは、文化高き街の証明だ。
8時10分もすぎると何人かのお客が入ってきた。皆さん常連のようで、カウンター内の店主と親しげに話を始める。聞くと話に聞いていたら、当たり前だが弘前語(津軽弁の中でも上級らしい)で、聞き取り不能語がだいぶ混じっていた。気分は石川啄木だった。言葉の意味はわからないが、何やら懐かしく聞こえる。北海道の高齢者が使うイントネーションに似ているせいだろうか。

店を出たら目の前にカレーのポスターがあった。ラーメン屋だと思っていたが、テイクアウト用にカレーを作っているようだ。ラーメン屋のテイクアウトでは商売にならなかったのかと気がついた。コロナの時代は、飲み屋だけではなく飯屋も大変だったのだな。