
JR弘前駅を正面から見ると随分と大きな建物に見える。ただ、駅の中に入ってみるとわかるのだが、2階から上は吹き抜けで天井が高い。外光を取り入れる津軽の冬向きの建物だなと思う。
冬の時期に来ると、この駅前も雪で覆われているので全く違う景色になる。やはり弘前は夏に来るのが良い。
この日の予定では、午前中に五能線を使い秋田を目指すはずだった。五能線は青森から秋田の日本海側を走る、海の見える風光明媚な路線として有名だ。何かのついでに乗る路線ではなく、わざわざ車窓の景色を楽しむために乗る、鉄オタ専用線みたいなものだと思っている。
ところが、駅に着いて駅弁を買い込み、いざ改札を通ろうとしたら、五能線の行き先が目的地の随分手前の駅になっている。不審に思い駅員さんに尋ねると、大雨の影響で五能線が各所で通行不能になり、一部路線ではバス代行をしているが、全通はできないと言われた。
おまけに奥羽本線も似たような状況で、弘前から行けるのは大館まで。その先は鉄道不通でバスが代行する区間がある。大館から東能代まではバス、東能代から先は鉄道再開とのことだった。想定していた日程は全面的に立て直し、おまけに大館まで移動する列車はほぼ昼前の発車になるので二時間待ち。慌ててみてもしょうがないし、そもそも各駅停車の旅に「急ぐ」という言葉は必要ない。(はずだ)

駅の待合室で2時間ほど待機した後、ようやく移動開始。また来て弘前の案内に「うん、うん」と頷きながら、ホームに降りると人影もまばら。

大館まではおよそ1時間の移動になる。そもそも五能線周りができれば通るはずもないルートで、おまけに代行バスの待ち合わせで30分ほど大館に滞在することになった。
大館までの風景は、「田んぼ」と「山」、以上だった。青森が米どころというわけがよくわかる。ただ、青森らしいというか津軽らしいのが、田んぼの脇のあちこちにりんごの木があること。
小規模のリンゴ畑なので、商売というよりは自家消費用みたいな感じがする。西日本に行けば、りんごの代わりにみかんや柿の木が植えられているな、などと日本の田舎風景を思い出してしまった。

大館は一度車で来たことがある。名物の曲げわっぱが欲しくて、わざわざ立ち寄った記憶がある。その時は駅に来ていないので、今回が初の大館駅だ、と喜んでいたら、なんと駅舎が全面改築中で、今は仮設駅だった。仮設駅と言いながらも待合室もあるし、キオスクもある。駅機能はコレだけでも十分かな、などと失礼なことを考えてしまった。

その大館駅前に、駅より立派な建物があった。自分の中の駅弁ランキング、おそらくダントツ筆頭の「鶏めし」製造元、花膳の食堂だ。昼食時から少し遅くなっていたが、店頭では席待ちの客が行列していた。
本店でも鶏めしが売っているはずなので、買ってみようかと弁当売り場に行ったら誰もいなかった。店内の客を捌くので大忙しらしい。弁当は諦めることにした。(駅のキオスクでは売っていたから、買うことはできる)

花善の鶏めしはパリの駅でも販売されている、などと新聞で読んだ記事を思い出した。本店だからパリの駅弁と同じフランス語パッケージなものが売っているかなと期待していたのだが……… 流石にそれはないみたいだった。
代わりに発見したのがデリバリー弁当の看板だ。鳥天丼とかガーリック唐揚げとか、うまそうな弁当(駅弁ではない)が売っている。おまけに一個からデリバリーしてくれるらしい。すごいな花善。

大館駅前の観察を終わる頃に代行バスが来た。代行バスのルートは、奥羽本線の各駅を着実に停まっていく。代行だから当たり前だというかもしれないが、駅の中にはバスが通れないような細い道でしか通じていないところもあり、そこは駅から離れた場所に停車した。よく晴れた日なので、通常のバス路線ではない細く曲がりくねった田舎道も走る不思議な行程を楽しんだ。景色は青森と同じ………田圃と山だった。

東能代駅に着くと、バスから10名くらいの乗客が降りた。途中の町では高校生が乗ってきて降りていった。通学路線として使うには奥羽本線の便数が少なすぎるだろうと突っ込みたくなる。
この交通の不便さが若者を都会に追いやるのだとずっと思っている。年を重ねて干物みたくなったオヤジやオバンには理解できないのだろう。せめて一時間に2本くらいの交通手段を残さないと、中高生は田舎暮らしから脱出することしか考えなくなるはずだ。
高校を卒業して自動車の免許を手に入れても(鉄道を使わなくなったとしても)、その思春期に形成された脱出願望はけして消えないのだよ。町おこしなどという大ボラを吹きたいなら、交通の整備が最重要だろう。

代行バスで尻が痛くなったので、ついつい過激なことを考えてしまったが、東能代の駅はなかなか見応えがあるので、駅ナカをぶらぶら楽しんだ。

この度で最大の学びがコレだ。お茶の北限が秋田なのだね。駅のキオスクでお茶が大量に並んでいるわけだ。大館のキオスクで「なぜお茶がこんなに並んでいるのか」と不思議だった。北限のお茶を売り込んでいたわけか。包装をよく見れば秋田産であることが分かったはずだが。勉強不足だった。

ホームには五能線のあれこれが展示されている。ローカル線というより観光線なので、駅全体が五能線推しになるのも無理はない。世界遺産の森もあるし。

終点駅、起点駅は日本中にたくさんあるが(例えば東京駅)、起点駅表記は初めてみた。それもホームの柱に書いてある。すごいな。

東能代から秋田までは各駅停車の旅に戻る。駅の周りは田圃と森だった。ここからは日本有数の米どころである八郎潟を通っていく。八郎潟には2度ほど来たことがある。北海道でもあまり見かけない、地平線まで田んぼという素晴らしい光景に出会える。

JRの列車の色が青かったり赤かったりするのは何か意味があるのだろうか。車両系の鉄オタ(形式番号などをそらんじている人たち)に聞けばすかさず答えが返ってきそうだが、こちらは尻の痛みをかかえても乗るのが好きな「乗り鉄」だから、モーターオンがとか、気動車のエンジン音がとか言われてもピンとこない。

秋田は奥羽本線と羽越本線の連結点で、東に行けば盛岡、南に行けば新潟になる。出羽国は古代から開かれている北方航路の中継点として栄えていたはずだ。南の酒田 は紅花が大産業だったので、小京都と言われる街になった。もっと北に行けばニシン漁の拠点が散在する。日本海航路は古代以来、日の本最大のメイン通商路だったはずだが、今はその面影もない。港といえば、海外向けに作られた神戸や横浜に取って代わられてしまった。戦前は大陸交易も盛んだったはずだが。
実は昔の東北地方はなかなか賑やかだったのだ。出羽と陸奥の抗争など中世史では一大イベントで、相当に盛り上がっていたはずなのに。出羽は北方航路で日本海系大和の植民地、陸奥は東方先住民の根拠みたいなロマン溢れるお話なのだが。

そんな歴史のあれこれを思いつつ、もうすぐ稲刈りみたいだな飛ぼうっとしていたらいつの間にか秋田に着いていた。