街を歩く, 旅をする

帯広タウンウォッチング哀歌

最初は電気屋なのかと思った。昔のホーロー看板が貼り付けれれた古びた建物だったせいだ。よくよくみたら、古びた外装にわざと仕上げをしているようで、昔の飲み屋小路を演出しているらしい。昔の看板も演出だった。

小路の中を覗いてみれば、いまにも昭和演歌が聞こえてきそうだが、建物自体はしっかりとして現代ものだ。消防法的にはどうだろうと思いつつ、こういう小路は夜になるとやたら怪しく魅力的になるのだ。昼にはその魅力が見えてこない。飲食ビルの1階から10階まで全て飲み屋というススキノと比べるとこじんまりしているが、酔客にはこの方が「魅力」が溢れている・・・かもしれない。夜になればだが。

市中心部、商店が固まる繁華街の核が百貨店のはずだが、どうもこの町でも百貨店は消滅するらしい。無くなる前に見ておこうと店内にはいってみたら、全国のあちこちで見かけたのと同じ光景があった。
売り場の一部が公共施設に転換されている。売上減少で不要になった販売スペースの引き取り手がなく、しぶしぶ地方自治体が借り上げるのは、もはや全国各地で当たり前の都市衰退の象徴だ。それがこの中核都市でも起きている。
ちなみに県庁所在地、つまり地方の中心地で、人口が30万人前後の都市は多い。東北、北陸、中国地方にあるこのサイズの街では百貨店の維持が困難になっている。北海道で言えば、旭川、函館、釧路、帯広といった町でも百貨店が生き残れなくなっている。
アメリカではどこの州に行っても当たり前になっていた、旧市街のゴーストタウン化が日本でも急速に進行しているというわけだ。

そんな百貨店の中で見つけた。フードバレーという言葉は、シリコンバレーのもじりなのだろう。しかし、十勝平野はバレー(谷間)ではないだろう・・・。あえていうなら、文化の谷間、あるいは文明と辺境の谷間みたいなことか、と皮肉まじりに考えてしまった。
言いたいことはわかるが、造語としてもおかしいぞと、ちょっと腹立たしい気分になる。この公共スペースのどこかにフードバレーの由来は書いてあるのだろうが、探す気にもならなかった。

ところが、この町を代表する菓子メーカーの本社ビルが百貨店のすぐ隣にある。その菓子屋本店を訪ねてみると、とてつもなく「文化的な香り」がしている。やはり「知」とは官にはなく民間にあるものなのか。自分の稼いだ金で自分たちの誇る文化を維持する、民の気概があらわだ、と思った。本社ビル前の大きな木はまるでオブジェのようだが、京都や奈良にある古刹のように美しい。

そこから数分歩くと、さぞかし昔は繁盛しただろうと推察できる、映画館と思しきビルがあった。映画館ではなく、レストランだったのかもしれない。当時は優雅で文化の最先端をいくビルだっただろう。これまた全国どこにでも存在する、取り壊されていない映画館の跡は、街の衰退の象徴だと思う。
有効利用もされず、外観はほぼ放置されたまま、昔の栄華の跡というのは、街が新陳代謝の力を失った象徴だからだ。

街の中に新旧が入り混じり、奇妙な不協和音がある。ノスタルジーではなく、滅びの歌を感じる街だった。それでも、まだ滅びていないだけよいとも思うのだが、その最後の生き残りをコロナが叩き潰した。やはり時代の変わり目ということなのだろうか。
本来はもう20−30年前に訪れるはずだった都市崩壊が、バブルの後に放置されていた。おそらく世紀末に起こるはずだった「街の滅び」が、いま急速に進行している。東京や大都市ではまだゆっくりと起きていることが、地方都市では最終段階に加速された。そんな気がする。
この街は他の諸都市と比べて、まだまだ元気だと思っていたのだが、どうも錯覚だったようだ。街中を彷徨い歩くと見えてきた衰退のあれこれだった。タウンウォッチングはたまに悲しい事になる。
北海道に関していえば、函館、旭川、帯広、釧路など地域の中核都市は全部同じ症状になっていて、実に寂しい。もはや都市再生は官製事業としては無理で、民間事業にしたほうが良いのかもしれない。

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