旅をする

北の屋台と長屋が対決?

帯広名物と言って良いと思うのが、繁華街のど真ん中の空き地を使った屋台村「北の屋台」だ。初めて行った時は、確か零下20度近い極寒の時期で、こんな気温で屋台で酒など飲めるのかと感心した。それから随分時間が経ったが、今ではもはや屋台と言えない耐寒耐熱仕様で外囲いが完備している。おそらくコロナ感染対策もあるのだろうが、屋台の解放感はすでにない。衛生環境としては、改善されているのだから文句を言ってはいけない。

北海道の短い夏に対応するより、半年以上続く寒冷期への対策が優先するのは仕方がないことだと理解できるが、なんだかモグラの巣穴的な閉鎖感があるか。しかし、夏では熱がこもるような気がする。それでも常連客は通ってきてくれるらしい。

一軒ずつ覗き込んでみたら、夕方ですでに満員の店があると思えば、客一人居なく店主が暇そうにテレビを見ている店もあった。この屋台村のシステムは小投資で自分の店を持ち、繁盛すれば卒業して一軒の常設店を構えるということなので、屋台の店主は一国一城の主人を狙う「砦の親玉」みたいなものだ。店主が親玉的雰囲気を持ち合わせているかも重要そうだ。

どうも柳の下の二匹目のドジョウを狙ったような気がする施設「十勝の長屋」は、北の屋台から道路を挟んだ向かい側にある。「屋台」と「長屋」で二つの小路が続いた形になっている。だから、呑んべいオヤジがぶらぶら歩いてはしご酒をするにはとても便利だ。こちらは仮説の屋台ではなく、常設の建物「長屋」なので、同じカウンターだけの店にしても、ちょっと安定感がある。都会の片隅には、こんな小体な店が並ぶ小路はどこにでもありそうだが、もはや昭和の遺物だろう。消防法や改正食品衛生法やらでいじめられ役を一手に引き受けている存在だ。なんとか、合法的に新設を図るには、地方自治体の町おこしにでも縋るしかない。
ちなみに西新宿や渋谷の一角に残る昭和の遺跡、飲み屋小路・横丁は火災で焼けたら2度と再建できないだろう。

この新設横丁には酔っ払いの通行を邪魔する、道に置いたスタンド看板などはない。自転車が放置されていることもない。店頭に鉢植えの植物やプランターが置いてありもしない。整然とした雰囲気があるというか、生活感がしない。
これは好みが分かれそうなところだが、冬の時期を考えるとタウ・ンマネージメントとしては「通路の安全確保」は重要な管理項目だろう。札幌や旭川の裏小路で、凍結した道で滑った記憶は大量にある。路上転倒で何度も死にそうな目にあった経験は豊富だ。北国育ちだからと言って、酔っ払っていれば、それなりに転ぶものだ。それを考えると、冬でも非凍結の路面を維持するのは「北の飲み屋小路」では最重要案件のような気がする。看板は間違いなく除雪の邪魔だ。

ただ、どの店にも立ち寄る気にならなかったのは、小ぶりな店だけに常連が多いだろうこと。この2年余りで一人飲みにすっかり慣れたこともあり、常連客の賑やかさみたいなものに、抵抗感ができてしまったせいだろう。コロナ後遺症の一種なのかもしれない。令和とは困った時代なのだ。

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