旅をする

小樽をそぞろ歩きする

映画に出てきそうな光景だが、これは歴とした小樽駅構内の建造物だ。まあ、正直なところ、映画のセットのような感じではあるのだが。復元というかレプリカというか、どちらにしても観光客を喜ばせる良い演出だ。
観光都市に演出は欠かせない。街をどう見せるのかは、映画の監督や舞台の演出と同じ創造的なお仕事だろう。

小樽駅は昔ながらの低層ビルで、これが背の高い駅ビルになると観光都市としての景観を破壊するのは間違いない。現在も小樽駅前に立つ中層のショッピングビルやホテルが、どれだけ駅前の景色を邪魔しているか、小樽市の観光担当は都市計画を見直しした方が良いと思う。
隣の大都市札幌では、街の成長を放置したため景観地区すら作れなかった。観光業を育てるグランドデザインがない街の典型だと思っている。観光客が勝手に抱く北海道幻想にただノリしてるだけで、北海道への観光客を募るイベントなどもまだまだ足りない。その反面教師ぶりを小樽市は学ぶべきだろう。

小樽駅から海岸沿いにある運河に至る道は、こうした観光案内がおかれている。そぞろ歩きを楽しむためのガイドとして重宝している。隣の街もこれは見習ってほしい。ただ、今のご時世はスマホのマップアプリの方が10倍役に立つかもしれないが。

小樽市内には石造の古い建物があちこちに残されている。今でも現役で使われているかどうかはっきりしないが、取り壊されることはなさそうだ。建物の前に設置されている「このビルは旧〇〇社が使っていた・・・・」みたいな説明文を読むと、持ち主は金融関係が多く、いかに当時の小樽が金融の街、つまり商売の街だったのかがわかる。
日本海は決して裏日本ではなく、大陸貿易との表航路だったということだ。このあたりの認識は東京中心の明治政府でも持ち合わせていたはずだが、いつの間にか日本海航路は見捨てられた。東海道ベルト地帯には良港が少なかったはずだが、おそらく「船」の性能向上のため、太平洋側航路が比較的安定して使えるようになったからだろう。
日本海沿岸地域を「裏日本」と呼ぶのは、明治政府とそれに引き続く敗戦後の民主日本がおかした、文化的経済的蛮行というべきだろうか。東海道ベルト地帯は空襲で都市が焼き払われたこともあり、歴史的景観を保存できなかった。結果的に産業都市地帯であるのは、観光地帯になれなかったことの裏返しということだろう。焼け野原に文化を再建するだけの余裕がなかったとも言える。

木造の建物も数多く立ち並ぶ観光ストリートでは、ガラス細工の店が賑わっている。沖縄でも米軍統治時代に、コカコーラの空瓶を原材料に始まった沖縄ガラス製品が、今ではすっかりおしゃれな観光土産になっている。小樽のガラス製品も、もともとは漁業で使う網の浮き玉製造が始まりだった。今は実用品ではなく美術工芸品が並んでいる。技術の進化というより、商売のやり方を変えたということだ。

ノスタルジーと現代的なデザインが入り混じった、不思議なガラス製品が建物ごとに並んでいる。似たような製品でも、建物ごとにテーマが異なり、微妙にデザインが変わっている。隣り合った建物をハシゴしてみて回る仕掛けが心憎い。

今回は、涼しげな音色の風鈴を手に入れた。お江戸の風鈴とはデザインも違い、音色も違う。ちょっと低めな高音(変な言い方だが)がする。お江戸の金魚の絵が描かれた風鈴(自分の思い込みイメージ)はチンという金属的な高い音がする。小樽の風鈴は、それよりも少し低音で、もう少し響きが長い気がする。チィ〜ンン みたいな感じだろうか。
風鈴は手作りだから、ひとつひとつ音色が違うので、デザインと実際の音を聴き比べてお気に入りを選び出す。その過程がまた楽しいものだった。
そぞろ歩き、散歩の楽しみとは、こんな細々とした作業?の組み合わせにあるのだね。

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