書評・映像評

ラノベのあれこれを考えてみた #5 「村人」について

怪獣映画ではよく壊される街の代表 銀座

こうしたことを前提に「村人ですが、何か?」という比較的短めの題名を考えてみる。まず、「村人ですが」に潜んでいる意味はいくつか考えられる。まず「村人」とはゲーム世界でよく登場する話しかけると一言か二言だけ答える、その他大勢の役だ。その一言には隠されたお宝や武器を探すためのヒントであったり、今後の進路の重要情報であったりが含まれていることもある。
紛らわしい偽情報を流す村人もいる。また、全く役に立たないお天気の話しかしないという役もいる。手の込んだ例だと、3回お天気の話をすると、くどいと怒り始めて、こちらが謝りながらプレゼントをするとようやく情報を話し始めるみたいな仕掛けもある。
つまり、村人とは英雄グループの仲間にも入らず、旅をしないまま村という閉じた世界にいるものを意味する。そして「何か?」というフレーズは、本来脇役でしかない一過性の登場人物が、「この俺様、村人に対して何か文句あるのか?」と問いかけている訳だ。もう少し勘繰ってみれば、俺にいちゃもんつける気かと怒っているとも言える。
当然、村人に問いかけているのは英雄グループの一員だ。村人同士は会話をする仕様になっていない。だからこのシーンは、主役(英雄)が脇役(村人)に、それもチョイ役にものを尋ねたら、逆ギレしてブイブイいっているという構図ではないか。ここまでイメージ喚起を具体的に迫っているとは言えないが、長文題名の意図するところはシーンの換気力にある。
そして読者(購入者)は、こう考え始める。なぜ、主人公であるはずの英雄に対して、その他大勢の脇役、モブキャラでしかない村人が絡んでいるのだと。これは新しいパターンの話なのでは? 面白いのかも? 読んでみようか?と言う連想ゲームの始まりが「村人タイトル」になっている。
書店で売っている本に付けられる「帯」と似たような効果をもたらすテクニックだ。「帯」とは表紙では(デザイン的に)書くことができない惹句、売り文句を表紙の上に邪魔にならない程度に付け足す道具だ。それを投稿サイトにずらっと並ぶ「タイトル・題名」と帯化したのが、この長くて説明的なタイトルということになる。
他の長文タイトルも、似たような効果を狙ってつけられているのは間違いない。書き手のテクニックとして、すっかり定着した感じがする。ただ、それはエンタメ・ビジネスサイクルにとっては、もはや不可欠な道具であり業界のお約束なのだろう。口語体で、話しかけるように長文の題名をつけるのは、ラノベ書きの定石その1といえる。そして、定石通りのタイトル名が、アニメや実写化された動画のタイトルになるので、世の中のエンタメコンテンツの題名が長文化していく。テレビドラマの題名もそれにつられて長くなっている。非常に穿った言い方をすれば、Web世界が現実世界を侵食している。

【続く】

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