
ネットで紅生姜を山盛りにした牛丼を見て、アーッとショックを受けた。赤いビジュアルもなかなか劇的だったが、ショックを受けたのはそこではない。こんなに紅生姜使っても良いんだという、なんとも脱力する気づきだった。
牛丼を食べる時の楽しみは、牛肉の味というより、紅生姜と絡まって生まれる酸っぱさ、塩味のハーモニーだと思っている。牛丼非存在圏であった北海道で育ち、お江戸に出てきて初めて食べた牛丼の衝撃のせいだ。牛丼特有の油臭さというか牛臭さを生姜で紛らわせて食べるという食体験は、子供のうちに済ませておくべきだ。大人になってから学ぶ「異文化」は、なかなかしんどいものがある。
牛丼初体験時にうけた異様さの比較対象としては適切ではないかもしれないが、台湾で食べた臭豆腐を食べた時に近いものがある。現地の人は旨そうに食べているが、どうも自分は馴染めないという異邦人感覚だ。
そんな初期牛丼体験から、いつの間にか週3牛丼フリークになったのは、紅生姜による味変が可能だったからだと思っている。
ただ、本音ではもっと大量に紅生姜を乗せたいのに、建前として「これは付け合わせだからとって良い適量というものがある」だろうなと、遠慮しつつ紅生姜を乗せていた。
おまけにテイクアウトでついてくる紅生姜小袋をみると、これが一回分の適量というものだろうかと悲しんでいた。個人的には、あの小袋入り紅生姜は牛丼一杯に対して3−4個ほど使いたいと思っていた。それでも、「紅生姜追加でお願いします」という勇気がなかった。一袋分の生姜で泣く泣く我慢していた。
が、ネット記事の牛丼を見ると、どうやら紅生姜は使い放題のようだ。これまで耐えてきた日々は全く無駄だったということだ。汁だくブームの時に気がつくべきだった。これぞ、宗教的な回心に近い気づきだった。食の神様が降りてきたような気がする。
そこで、夢の紅生姜牛丼を実現してみた。自分でかけたいだけ紅生姜をかけてみた。ビジュアル的には全く別物の料理になっている。恐る恐る食べた。これは法悦だった。これまで食べてきた牛丼の時間を全て返して欲しいと思った。残りの人生で、あと何杯牛丼を食べるかはわからないが、少なくとも「赤い牛丼」しか食べないだろうということは確信している。
もっと早く知っていればなあ、と後悔することが年々増えてきているが、この赤い牛丼事案は、その中でも最大の衝撃だと思う。我が人生、数多の曇りありだ。やはりラオウにはなれない。