
札幌狸小路は北海道開拓時代から続く伝統ある商店街だ。1丁目から10丁目まで続き、ストリートマーケットとしては全国でも屈指の規模ではないかと思う。東京のあちこちにあるストリート商店街とはちょっと違う感じもするが。屋根がかかっているアーケード街は冬でも雪を気にしなくて良い(しかし、しっかり寒い)雪国仕様だ。
駅前通りを挟む狸小路中心部(3・4・5丁目界隈)は都会的なブランドショップもある。が、東の端の1・2丁目、西の6−10丁目あたりは、なんというか場末感が漂う古びた店並みになっている。
昔は7・8丁目あたりに今風に言うところの風俗店、昔流で言えば連れ込み旅館街・女郎街だったらしく、狸に化かされるような街だったから狸小路といわれたと、昔々先輩に聞いた。それが本当かどうかは知らないが、知人が8丁目にあった連れ込み旅館を改造して店をやっていたから、おそらく風俗街があったのは確かだろう。

その狸小路もようやくバブルの後遺症から脱出しつつあり、ここ4・5年はあちこちで店舗の取り壊し、建て替えなどが続いている。それでも再開発の波は6丁目止まりで、7丁目以降は一体この建物ができたのはいつなのだろうと思わせる老朽建物を改装した小ぶりな店舗が増えてきた。ただ、その狸小路ルネサンス的なムードもコロナによって停止中という感じがある。

東京であれば、秋葉原あたりにありそうな電子部品の店がいまだに健在だ。その昔、ラジオ小僧が集まるカルトな店だった。今では想像もできないが、真空管ラジオがまだまだ幅を利かせていた時代で、自分で回路設計したラジオを組み立てるのが流行っていた。真空管を3本使う簡易型、5本使う本格型など力量に合わせて(懐具合も含めて)ラジオ作成できた。回路集も販売されていたし、それこそ初心者向けのキット販売もしていた。もはやうっすらとした記憶だが、ここがハドソンの発祥の地だったのではないか。

札幌でもタイ料理の店は珍しくない。タイ料理は普及期に入ったエスニック料理だが、ベトナム料理はまだちょっと珍しいかもしれない。ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア料理が女性に人気があるらしい。理由が全くわからなかったが、あの魚醤の臭さが女性向けなのだろうかと疑っていた。フェロモン的にヒト族雌に有効なのだろうかと生物学的妄想をしていた。どうやらそれは間違っているようで、パクチー^(香菜)のデトックス効果が人気の原因らしい。確かにあの草を使った料理は、独特の臭みがあり、毒消と言われればそんな気もする。よく言えば薬効がある。悪く言えば蓼食う虫も好きズキということか。どちらにしても、この店には一度きてみたいものだ。


バブルの後はすっかりシャッター街になりかかっていた狸小路7丁目も、ここ10年くらいで個性的なレストランが集まる場所になった。西端の9・10丁目はアーケードの屋根がないので、冬になるとほとんど障害物競争のグランドと言いたいくらいの歩行難所になる。だから、アーケードがギリギリある7丁目がレストランの集まる場所になったようだ。(8丁目は空き地が目立つだけ)
一年で閉めてしまう店もあるが、コロナ前後に空いた店は比較的健闘しているようだ。店舗の外観を見ても、好感が持てる斬新なデザインが多い。それでも、コロナ前の外国人観光客目当ての店は潰れてしまった。店内で世界あちこちの訛りがある英語が飛び交っていた店は看板を変えていた。まあ、札幌で飲むときに英語を喋るというのもグローバル経験としては良かったが。
新宿ゴールデン街でもコロナ前には英語のメニューが提示されていた時期があった。個人的には「第二のバブル」的なインバウンド狂騒時代だったと思う。たまたまゴールデン街のバーでシンガポールから来た旅人と喋っていたら、横から競争するように英語で話しかける客がいて、何が悲しいやら日本人同士で英語の会話をするハメになった記憶が蘇る。英語が喋れることをひけらかし、自分はグローバルな人間なのだとマウントをとりたがる輩が増殖していた。やはりおかしな時代だったのだ。おそらく、札幌の外国人向けバーでも同じ光景があったのだろうなあ。
アフターコロナではどうなるのだろうかと狸小路の片隅で思った次第であります。