街を歩く

「4丁目」のあれこれ

渋谷といえばセンター街や道玄坂が代名詞になる。新宿と言えば歌舞伎町、銀座といえば三丁目の和光だったりする。札幌で繁華街の代名詞といえば、「4丁目」になるだろう。駅前通りが3丁目と4丁目の境界線だが、大通公園の南側、つまり南1丁目周辺を指して「4丁目」という。その4丁目の交差点、北東側に三越がある。全国の三越にあるらしいライオン像からマスクが外れた。コロナ感染拡大防止のお役目は終了し、火災予防を宣伝中だった。街角の風景から世相を見るとすれば、これは結構象徴的なモデルチェンジだと思った。

その三越の反対側にあった「4丁目プラザ」通称4プラが解体工事に入った。大袈裟にいえば、札幌の若者トレンドをひっパテきたファッション型雑居ビルで、これまた向かいにあるパルコと並び、街に来たらとりあえず覗く場所だった。ちなみに札幌市民の大多数は、4丁目界隈に買い物などに出かけることを「街にいく」と言っていた。今では、変わっているかもしれない。国鉄時代は汽車に乗ると言っていたが、今ではJRで行くみたいな言葉がわりもある。札幌駅も巨大繁華街になり、街へ行くでは大通りに行くのか札幌駅に行くのか区別がつかない。

その「街へ行く」時代から続いている店が、4丁目のハズレというか、5丁目にある。このコロナの荒波にも負けずよくぞ続いていてくれると言いたい。もはや創業以来半世紀を超える老舗ラーメン店だ。味は昔から変わらない気がする。知らないうちに調理場のメンバーも変わっているなと思ったのが、平成中期だった。
ガツンと化学調味料が効いた味噌ラーメンは、たまに無性に食べたくなる。醤油ラーメンに至っては、ススキノの宝龍とならぶ伝統芸的なものだ。今風の「濃厚」系ラーメンとは別物だが、味が濃いのが特徴で具材は少なめ。こういうラーメンで育った舌は、いわゆる関東の支那そばに馴染めない。今では全国豚骨濃厚ラーメン、鶏白湯泥理系ラーメンが主流なのでローカルさなど無くなっているが。

その隣にあるzaziもすでに50年近い歴史がある。札幌のオシャレ系喫茶の先頭集団にいたはずだが、そもそも喫茶店がほとんど消え去る時代になっても、いまだに頑固に営業中というか生存中だ。まだファミレスが少ない時代、喫茶店は街中にある「小粋な食べ物屋」として貴重だった。なぜかスパゲッティ(当時はパスタとは言っていない)よりも、カレーやピラフといったライスメニューが多かった記憶がある。今のシャレオツなカフェ飯とは随分異なっていた。喫茶店の具の少ないカレーは、それぞれの店でアレンジが異なっていて、店によって好みが分かれた。
4丁目界隈にあった「若者向け」の店はほとんどなくなり、生き残った店はジジイな常連がひっそりと生息しているらしい。今や、若者はどこに行っているのだろう。

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