書評・映像評

読書の質は量で決まるか Yes!

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小学生の頃から本を読むのが好きだった。今のように多様な趣味、暇つぶしの道具がなかったこともある。本を読むことしかなかったというのが正解だろうか。現代の暇つぶしはテレビやDVDで映像を楽しむのはもはや少数派で、youtubeなどの配信系映像やゲーム、それもオンラインで楽しむことが主流だろう。暇つぶしにやることが多すぎて、時間配分が生活の最大課題になってしまった。自分ですら、ニュースなどをサイトで巡回し、溜まった録画をみながら、なお新刊に手を伸ばすなど24時間暇つぶしに関わらなければ無理だ。
もはや暇つぶしどころか、娯楽ではなく業務に近いものがある。だから、長年慣れ親しんだ娯楽・趣味である読書は著しい時間制限が必要になってしまった。学生の頃は、朝起きてからから寝るまで、ぶっ続けに12時間以上本が読めたものだが、今では1日1時間がせいいっぱいだ。

それでも5年ほど前に読書記録を残すアプリを見つけて、日記がわりに書き込んできたが、この2月末で1700冊になった。平均すると1日に約1冊読んだことになる。記録漏れもあるが、漫画・コミックであれば概ね1時間で一冊読めるので、こんなものだろう。昔は手が出なかった大長編 全80巻みたいな本を片っ端から読んで行ったせいもある。逆に活字本は読書速度が低速化し、1日一冊はもはや無理だ。それでも戦国時代の考証本とか世界史のウンチク本みたいなものは集中的に読んだりもする。脳細胞の劣化防止策として読書は有効だろうと信じて、年間500冊読破を目指したい。

ちなみに読書レビュー系のアプリは、出版社関連でいくつか出ているようなので、現代の希少種である本好きの方がいれば、使ってみると良いのでは。何年か経つと、なかなか面白い自伝風の読書記録が出来上がる。この年は、なぜこの本読んでいたのかとか色々な記憶が蘇る。映画を見て原作が読みたくなったとか、尊敬する先輩に勧められたのだったなあとか。

個人的には濫読することで読書力、つまり理解力と想像力は広がると思っている。少ない本を読んだだけで、世界の理解が増すのは一部の天才だけではないかと思うので、本日も濫読をしております。同時進行で読んでいる本は、英国植民地の奴隷と砂糖生産の話「砂糖の世界史」と大人向けコミックで悪徳警官を描く「クロコーチ」と下町ロケットの作者が描く政治家の話「民王」、それに翻訳本で「宇宙が始まる前にはなにがあったのか?」と「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」、翻訳SFで「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン」。まさに濫読の極みでありますよ。

使用しているアプリは「読書メーター」で、角川系の代物です。ご参考まで。

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