
某局の「秘密の県民」情報番組が好きなので欠かさず見る。ネットであちこちに書かれている、「あんなことは実は一般的ではないぞ」という暴露クレームも、エンタメだから許してやろうよ、と鷹揚な気持ちで見ている。そのはずだったが、どうも最近の生まれ育った場所の情報を見るにつけ、確かにネットの意見は正しいとも思う。特殊事情を一般化して(要するに話を盛大に盛っている)事案も多いようだ。
以前にも何度か書いた記憶があるが、北海道は元々、原住民族アイヌが全道に散らばって住んでいて、樺太(現サハリン)や千島(現クリル諸島)にもアイヌは存在していた。だからアイヌ民族は北海道だけではなくアジア北方域に広がる広域民族だった。ただ、言葉は多少違っていたようだ。
そこに、南部から日本人が侵入してきた。商売を含め共存していた時期もあったようだが、結局は明治政府の時期に、直轄地として日本人による開拓が進んだ。だから北海道の地名はアイヌ語きげんがほとんどだ。
その明治期の開拓前は、津軽海峡を挟んだ津軽海峡文化圏とてもいうものが北海道南部の沿岸地帯に広がっていた。だから、当初の北海道は津軽の北縁的なもので、津軽文化が色濃く残っている。そこに、明治期の流刑人および戊辰戦争敗残者が多数移住してきたため、全国各地の風習や言葉がミックスされていった。
このミックス言語を「北海道弁」として認識しているのだが、当然ミックスには濃淡があり、北海道人の中でも互いに理解できない単語が混じっている。札幌人は函館人の言葉がわからないが、津軽の人はよく理解できるという現象が、その典型だろう。
逆に北海道人が、北海道独自の風習だと思っていることのほとんどが、北部東北を中心とした地域にルーツがある。

長々と書いてきたが、北海道人がよくいっている「北海道だけ」のお菓子みたいなものに、中華饅頭がある。一般的な饅頭とは全く見栄えが異なり、どら焼きを二つ折りにしたような形というのが一番近い表現だろう。半月型のどら焼きという感じか。
北海道では冠婚葬祭によく使われる。大きさも手のひらサイズからスイカを半分にしたような巨大なものまで、色々とサイズ違いを見かける。ところが、これは北海道独自のものではなく津軽ルーツなのだろう。青森の市場にあるお菓子屋で中華饅頭の原型を発見した。
同じ店に売っていたリンゴ最中は北海道では見たことがない。青森のリンゴ栽培は明治期に始まったので、りんご最中はそれ以降の商品だろうから、北海道に流れ込まなかったようだ。しかし、中華饅頭は道南を起点に十勝平野から東へ、旭川から北へ広がったようにおもえる。鉄道網の広がりと合わせて広がった食文化ではないだろうか。
例の県民情報番組は、この辺りの時代考証はあまり行わないので、北海道独自スイーツ的な扱いになっていた。どうやら中華饅頭北海道起源説は北海道人の独善的解釈らしい。まあ、どうでも良いと言えばどうでも良いことだが。

ただネーミングは中華饅頭ではなく「大中華」と書かれていた。どこで名前が変化したか、それともこの店独自のネーミングなのかはわからない。青森、弘前で菓子屋巡りをしてみれば判明しそうだが。

最中については、どうやらリンゴに対する熱烈なこだわりというよりは、モナカバリエーション拡大作戦の結果のようで、貝モナカや菊モナカも存在している。津軽人が和菓子大好きで、特に最中が好きだからリンゴ最中が出現したと考えても良さそうだ。北海道人が特別の最中嫌いだったということもないだろう。
岩手や宮城の食文化も北海道には移入されていて定着しているものも多いが、どうも北海道人はモンロー主義的に「これは北海道特有で独自」と言いたがるようだ。ちょっと調べると、意外とルーツがわかるものなのだが。おそらく北海道に流されてきたもの、故郷を追われてきたものの子孫なので、その出身地域へのコンプレックスが「北海道独自」と言い張りたくなる原因だと推測している。親に嫌われた子供みたいなやるせなさだ。しかしルーツを隠した欺瞞情報で喜ぶなど、先の大戦の大本営みたいなものではないか。
ただ、ルーツに対する屈折した憧れは、アメリカ人やオーストラリア人のイギリスに対する複雑な心境に似ているかなとも思う。北海道人気質も、ちょっとグローバル問題ととらえて考えたり解釈をしてみると面白い。
蝦夷地が北海道になり150年。初代入植者から数えて五代目から七代目あたりが今の北海道人なので、そろそろルーツの呪縛とも離れて良さそうだ。全国各地のミックス文化から北海道ユニークな文化が、まさにこれから生み出されるような気がする。
念のためお断りしておくと、生まれも育ちも北海道で、二十代に東京近郊に流れてきたため、ルーツというべき場所を無くした半端者の考えです。