
好きな小説作家の作品の一つ「秋葉原@DEEP」という題名がずっと記憶に残っている。ちょっとSFチックというかファンタジー系の要素を入れながら、現代の若者模様を描く長編作品で、電脳社会とかオタク文化とかあれこれごちゃ混ぜな美味しいお話だった。その話を入り口にとして、池袋西口公園の話を延々と読み続けている。自分としてはドボンとハマった作家の一人だ。たまたま池袋に行ったので、その西口公園のあたりを一回りした後、池袋駅西口北側にある、東口に抜ける地下通路(私鉄地下鉄のコンコースではなく本当のトンネル)周りを歩いてみた。この辺りが池袋西口公園物語の主人公が住む自宅兼店舗があるという設定だ。
噂には聞いていたが、池袋がマダラ租界になっている。サンフランシスコでチャイナタウンにいくとこんな感じがする、とでもいえば良いのか。横浜の中華街や神戸の南京町に行っても、ここまで強烈な異世界感は感じないだろう。要は日本人として見慣れた漢字がつかわれていれば、そこは日本の中華街であり、日本の一部と感じる。
サンフランシスコのチャイナタウンで感じるのは、普段見たことのない漢字が使われていて、カナがわりに英語が混在していて、おまけにその漢字も微妙に読めそうで読めないという違和感だ。日本の各地にある中華街では、この違和感がない。
ところが、そのなんともいえない違和感、ここは日本ではないという感覚が、池袋の街の片隅でマダラに生まれている。
台北や香港に行くと、全面的に読めない漢字だらけなので異国感はあるが納得できる。マダラではなく全部が違う、だから違和感につながらない。異国感ではなく違和感を感じるのは、中途半端に読めない漢字が、あちこちに混在するというのが重要な要素だ。


例えばこの看板だ。上部の万宝は読める。多分、意味もわかる。しかし下の「火ヘン」の二文字が読めないし、わからない。おそらく火をつかってある字だから、何らかの焼き物みたいなものではないかと想像する。看板の裏側を見ると、どうも串焼きのようなものらしい。読める漢字と読めない漢字が混在するのが、モヤモヤする原因だ。

これがビルの壁面看板になるともっとドキドキする。4Fの看板はよく知っている外食チェーンだ。5Fはどうやらお姉さんがいるお店らしい。6Fは有名な焼き鳥チェーン店。ここまでは日本語だけで理解できる。そして7Fは「熊猫火鍋」と書かれている。確かにパンダのことを熊猫と表記することは聞いてはいるが、日本語のセンスではないような気がする。それでも、まだ日本的な漢字常識で認識できる。ところが、池袋では一見して漢字だとわかるが、ちゃんと見ると読めない漢字というのが町中に溢れている。熊猫世界をこえている。

このビル一階の看板も普通に見ればなんの違和感もない。よくあるビルの店舗案内だ。ただ、4階 逸品火鍋をよく見れば、さりげなく読めない漢字が使われている。これがハングルだったりアラビア文字、タイ文字など全く読めない文字であればまた感じ方も違うのかもしれない。
読めそうで読めないのが、喉に刺さった魚の小骨的に感じるのだろう。まあ、池袋の北側はこんな感じに変わっていっている。関東各地にある異国人街、リトルデリーとかコリアンタウンとか呼ばれているエキゾチック?な街とどこが違うのかと言われると、多分、読めそうで読めない漢字のせいだろう。秋葉原とは違った意味で、池袋もすっかりdeepになっている。
ちなみに、古代から中世に漢字文化圏として影響を受けた漢字もどきに、ベトナム(阮朝)や西夏の文字がある。(日本語で使われる変形した漢字やカナもこの漢字もどきなのだが)この異国の感じインスパイア文字も歴史書などで見ると、わかりそうでわからないモヤモヤ感がすごい。
思うに、文化の発祥はいつでも大国なので、伝承された周辺諸国は劣等感のあまり、文化の精髄である文字をそのまま受け入れるのが耐えられないのだろう。古代・中世のスーパーステートであったチャイナに対する劣等感で、俺たちだって字くらいは作り出せるぞと生み出しのが各国の「漢字もどき」みたいなものなのだろう。ところが、それはチャイナ本国では蛮族の文字として余計に笑われるという事態をまねく。国交文書は正式な漢字でしか受け入れられない。その屈辱に耐えきれず、日本は遣唐使を廃止してしまったようだ。そしてカナ文字の発明、国風文化と民族自立運動を展開することになる。その後も日本が戦国時代末期まで大陸チャイナ帝国に対するコンプレックスを持ち続けていたことは、間違い無いだろう。(個人的歴史仮説であります)
同じことが第二次世界大戦の敗戦で起きたから、歴史的証明がなされたとしても良さそうだ。日本のカナは間違いなく、漢字インスパイア系国産文字だが、第二の漢字国産化は当用漢字(今の常用漢字)の導入だと思う。敗戦時のどさくさで作られた、変なプライドと政治的思惑で生まれた漢字もどきだ。池袋の話からずいぶんずれたが、日本の文化の変容はいつも劣等感から始まるという仮説は、また別の機会に。