街を歩く

新宿は被災地

テナント看板が白地とは  名物店だった大型食べ放題の店は消えたようだ

元・新宿コマ劇場前広場がただの平面になっていた。先日、所用の途中で新宿歌舞伎町の中心部を歩いて感じた違和感だ。新宿コマ劇場が建て替えられて、その後にはゴジラヘッドが屋上にオブジェとして展示?されているホテルと映画館の複合ビルに変わった。そして、コマ劇場前の広場は柵があり、そこには多種多様の怪しい人影が朝から深夜まで出没する、ちょっと無法的というかアナーキーな感じのする新宿歌舞伎町らしさが漂っていた。
ここから、もう少し北側、大久保寄りに行けばもっと怪しい雰囲気の飲屋街と風俗街が立ち並び、逆に南側には靖国通りを渡って明るい新宿駅前商店街が立ち並ぶ。その中間こそディープ新宿なテイストが漂っていた。
新宿を舞台にした警察小説の名作「新宿鮫シリーズ」や、任侠ゲームの名作「龍が如く」の舞台であり、「魔界都市新宿」では魔物の巣食う街だった、あの歌舞伎町のど真ん中が、何もないただの「平面」になっていた。広場というより、ものすごく幅の広い歩道だ。
おそらくコロナ感染に伴う路上飲み対策なのだろう。本当に何もない。高田馬場駅前の広場も学生が飲んで大騒ぎをするというので、噴水が撤去され、公園になり、いまでは柵がまわされて立ち入り禁止になっている。それよりももっとひどい都会特有の無機質空間になった。路上飲みが流行っているくらいなのだから、当然のように、広場周りにあった数多くの居酒屋、レストランなどは閉店している。新宿歌舞伎町のビルの看板が白くなることなど想像もできないことだった。

昼でも明かりのついていない1階テナント

元・新宿コマ劇場前の一等地で、一階の路面店が消滅している。高い家賃に見合うだけの人出がなくなったこともあるだろうが、商売が人の「密」を前提にしていることが致命傷だったのだろう。首都圏の某知事が新宿歌舞伎町を目の敵にしたことも主因だと思う。某知事は、生贄を見つけ出し、それを市民の前に差し出し火炙りにするような仕事ぶりで信任を受けようとした。ずいぶん露骨な政策だったと思う。
フランス市民革命時の革命暴力政治家や戊辰戦争後の明治新政府下級武士の成り上がりたちと同じ手法だ。この後はマッチポンプのように外国人観光客誘致活動あたりを言い始めるに違いない。オリンピック開催を成功だと自画自賛する知性(痴性かも)と感性では「恥」とか「反省」という言葉には縁がないだろうし。
経済的な不況では何度も厳しい状況に対応してきた歌舞伎町も大規模感染症には勝てなかった。病に負けたよいうより、政治に負けたのだから、対応策はあまりみあたらない。ゴーストタウンを作るには、バカな政治屋が一人いれば良いのだという「歴史的学び」が、今、現在、東京都新宿区歌舞伎町に存在している。

12月には復活するのだろうか。

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