食べ物レポート

うまいらうめんの考察 たかはしふたたび

最近増えたきたような気がする「らうめん」というひらがな表記のラーメン店だが、言葉遊びだろうという理解をしている。ただ、その言葉遊びが、なんとも好ましい。ラーメンというカタカナ表記が「らうめん」というひらがな表記に変わることで、俺たち進化した一族なんだぞ的なラーメンニューウェーブというか、一段の高みに登ったものの気概みたいなものを感じる。(というのは、オヤジ的浪漫だな)

新宿に出かけた時に、いつもランチで迷うのが、「はやしやのオムライス」と「紀伊國屋地下ジンジンのナポリタン」、そして「たかはしのらー麺」だった。ジンジンは紀伊國屋ビル耐震強化工事のため閉店したようで、次からはオムライスとらー麺の二択になってしまうのがちょっと悲しい。

アゴだしラーメンを初めて食べたのは仙台で、おまけに仙台ラーメンではなく「山形のアゴだしラーメン」だった。仙台は東北の中心地なので(おそらく)、東北6県の名物店はだいたい仙台に出店しているようだ。まずは仙台進出、そしてそこを足がかりに東京進出という国盗り物語パターンみたいだ。だが、中には仙台で土着化してしまう店もある。東京進出より仙台での多店舗化が楽しくなってしまうケースだ。仙台で食べた山形ラーメンは、ぜひ東京進出して欲しいものだと思っているが、どうなることだろう。仙台土着化パターンになりそうな気配もする。調べてみたら仙台二号店が開いたようで、アフターコロナで東京進出してはこないだろう。新宿のたかはしも既に複数店展開している人気店なので、東京アゴだしらーめん対決なんていうのを楽しみにしたいものだが時間がかかりそうだ。

塩らー麺なのに濃厚な色のスープが特徴で、醤油ラーメンではないのが不思議

アゴだし塩らー麺は、自分の中ではすでに芸術品的評価になっている。ラーメンの完成形の一つであるとさえ思っている。別に完成の形が一つだとも思っていないが、数あるジャンルの中で(例えば豚骨味噌ラーメンとか、鶏白湯とかのラーメンサブジャンル)、やはり一段高い位置にある魚介だし部門のチャンピオン的存在ではある。
アゴ出汁の濃厚さと麺のバランスは、普通のラーメンの部品構成では難しいだろう。スープの主張がとても強いからだ。家庭で作るラーメンがうまくならないのは、スープと麺の温度管理が悪いせいだが(要は、下手くそなので)、一番悪いのははスープの濃さと麺の茹で加減がうまく行かないことだ。麺の湯切りと、スープを作る時のお湯の量、温度が関わっている。逆に言えば、この要所を上手に調整できないから家庭料理なのだ。プロの腕とは、この差を意味する。
そして、この店、たかはしのチャーシューやメンマも一般的な業務用のものとは明らかに異なる。この独自性の高いトッピングはすでに「料理」として高いレベルにある。家庭で真似をするのが、そもそも無理な世界だ。例えば、プロ仕様のチャーシューを作ろうとすれば、少なくとも五十人前、百人前と大量に生産する必要があるので、素人が手を出すと、そこから1ヶ月はチャーシュー漬けの日々になる。メンマに至っては、おそらく一年中、朝から晩までメンマを食べることになるだろう。
美味いラーメン屋、そして最近の成功している「らうめん」店では、麺とスープとトッピングの隅々まで調和を考えているというのがよくわかる。神は細部に宿るというのは「料理」の真髄だろう。ラーメンでもその世界に変わりはない。
たかはしでは、チャーシューが2種類と言うのも、ちょっと嬉しい工夫。厨房の中に、スライサーがあるので、店内手切りなのがわかる。これも大事な工夫だと思う。チャーシューはできるだけ頻繁にカットして、表面の劣化を防ぐのが望ましい。また、手切りではなく機械切りすることで、標準化によるブレの排除が「うまさ」を生む秘訣なのだよね。たかがラーメン、されどラーメン、うまさは本当に細部の工夫に宿るものだ。おまけに、この店の厨房の床がきれいなところが一番尊敬できる。

おまけだが、(個人的に言わせてもらうと)汚れた名店というのはあり得ない。店が汚いけど美味いというのは、表現として間違っていると思う。店が汚ければ、食べ物屋としてはすでに失格で、うまいまずいの評価をするに値しない。アフターコロナの要点でもあると思う。

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