街を歩く

和風牛丼の「和風」ってなに?

なか卯の和風牛丼 生姜増量乗せ(セルフ)

一年ぶりくらいで渋谷に行った。渋谷の隣の恵比寿にはこの一年で何度か行っていたが、渋谷の駅を降りたのは本当に久しぶりだった。あちこちで店がなくなっていたり、新しくできていたり、一年も経てばそれなりに街は変化するものだ。一番驚いたのは渋谷駅の東急百貨店東横店が工事のため閉鎖されていたこと。渋谷駅再開発も最終段階に入ったのだなと納得する。所用を済ませたあと、ちょっと腹が減ったと「孤独のグルメ」っぽい気分になり、飯屋を探し始めたのだが、1年ぶりの渋谷で「牛丼」も一年食べていないことに気がついた。

牛丼35歳定年説というのを業界の先輩に聞かされたことがある。どうやら「腹の具合」やら「加齢による嗜好の変化」やらで、35歳を境に牛丼を食べなくなる人が多いのだそうだ。我が身に当て嵌めても、まあ、納得できる理論だとは思った。ただ、年に何回かは無性に牛丼が食べたくなる。だから、まだ牛丼卒業式は終わっていないような気もするのだが・・・。そして、その無性に食べたい牛丼も、実は普通の牛丼ではなく、ちょっとした変化系になってしまう。
単純に言えば「並み盛り」の牛丼では、飯が多すぎる。では最近出現した小盛りを頼めば良いのかというと、それでは満足できない。要は、米と頭(牛肉)のバランス問題なのだ。並盛りの肉量であれば、米は半分にして欲しい。小盛りの飯量であれば、肉を増量して欲しい。並盛りで頭大盛りにすれば、米と肉のバランスは良くなるが、今度は総重量が多すぎる。なかなか面倒臭い嗜好だと思う。
肉と米のバランスを合わせると、並み盛りを注文して米を半分以上食べ残すという勿体無い(罪悪感の残る)食べ方をするか、小盛りを注文して肉皿を追加するかになる。早くて安くて美味いはずの牛丼が、なぜか「お高い」食べ物に変身してしまうので、これはこれで若干抵抗感が残る。などなど考えながら、なか卯で和風牛丼を食べた。
しかし、なぜ「和風」なのだろう。吉野家の牛丼は、間違いなく和食だと思うが、それと「和風」のどこが違うのだろう。まあ、食べ終わると忘れてしまう、ちょっとした「?」なのだけれど。

個人的にはすき家のトッピング牛丼より、吉野家の「普通の牛丼」が好みだが、20代に熱狂的な吉野家フリークだった経験から、吉野家では「よく煮えている」と「今煮たばっかり」の差がある(はずだ)。そのため店内に入って周りの客が食べている牛丼をチェックする癖がある。
ただ、松屋とすき家はいつ行ってもよく煮えている状態なので、調理法が違うのかもしれない。まあ、最近は吉野家に行く回数が激減しているので、今でも「今煮たばっかり」状態が提供されるのかはわからないが。
350円の牛丼を食べ、ずいぶん値上がりしたなあ、などと思うのもバブル後の崩壊期の日本で生きてきたせいだ。来年あたりには牛丼400円時代になるのだろう。平成から令和の変化を思い知るのは、牛丼の値上げということになりそうだ。

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