旅をする

釧路の変貌がちょっと悲しい

釧路の話をもう少し続ける。釧路市民でこの店を知らない者はいないと言われるレストラン「泉屋」は、初めて釧路に行った時に知人に連れられて以来、数十年愛用している。釧路末広町という大繁華街(当時は本当に人混みが凄かった)で、休日であれば空席待ちをするほどの超がつく繁盛店だったと思う。いわゆる洋食屋なので、メニューは豊富だし肉料理主体なので、若い時代は本当にガツガツと食べ、腹一杯でうまかった記憶しかない。

この泉屋の最強メニューがスパカツで、ミートソースのスパゲッティの上にカツがどんと載っている。今思えば洋食屋であればどこで売っていても良さそうなメニューなのだが、当時はどこにもなかった?ので、他の店で食べた記憶はない。まだ、ファミリーレストランの普及期前で、喫茶店でランチセットを頼むのがオシャレっぽい時代だった。スパゲッティーは喫茶店で食べるものみたいな感覚だった。おそらく、喫茶店ではカツをあげることが面倒くさかったのだろう。そういえば喫茶店ランチにカレーはあってもカツカレーはなかった。
スパカチを食べるには釧路に来て泉屋に行くしかない、とまでは言わないが、それくらいインパクトのあるメニューだった。熱々の鉄板でソースがジュージューしながらテーブルの上に置かれると、思わずゴクッと唾を飲み込んだものだ。生まれて初めての「シズル」を感じた時だったと思う。

その末広町の真ん中にオシャレな百貨店があった。丸井今井釧路店は、飲食店や酒場が取り囲むように立ち並び、釧路地域の商業中心として輝いていた。しかし、いつの間にか百貨店は閉店し、その後に商業ビル化したが、それも閉店してしまったようだ。今やシャッターで閉じられた廃ビルのようで、自転車置き場に変わっている。このシャッターの前を、札幌のススキノを上回るような数の若い人たちが歩き回っていた、などとは想像もできないだろう。夜の8時過ぎには歩道から人が溢れて車道を歩いていたものなのだが。

この親子のブロンズ像はいつ頃できたのだろうか。全く記憶になかったが、おそらく街頭整備でアートが喜ばれた華やかな時代の生き残りなのかもしれない。お母さんの視線が実に良いのだが。

元百貨店の前が放置自転車置き場になるのは、街のスラム化につながる。アメリカの地方都市で、これと全く同じようなことが起きているのを何度も見た。スラム化は犯罪から始まるのではなく、大型ゴミの放置という街の維持機能の低下から始まる。
釧路市役所の方々、ぜひここを見つめ直し、考え直して欲しいと思う。一度スラムになれば、街を取り戻すのには膨大なコストがかかるというのもアメリカ社会が実証している。自分の好きだった街が、劣化していくのは辛いものがある。都市中心部の再開発とまでは言わないが、景観維持、環境維持は市民の財産を守ることにつながる。是非ご検討を。

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