
道東という言葉がある。北海道の東部地域という意味合いで、同じように道北、道南、道央となる。道西はない。十勝がちょっと微妙で、位置的に道東にあたると思うが、十勝モンロー主義などと言われるように、十勝は一種独立的地域で「とかち」という存在を見せつけるところがある。道央の中心都市は札幌、道北が旭川、道南が函館というのに異論はないだろうが、道東については釧路というとちょっと微妙な感じになる。十勝の帯広の方が今や都市規模としては大きい。帯広駅はすでに高架化され新しくなっているが、釧路駅は昭和の駅感がたっぷりだ。(そこが情緒的には良いところだと思うが)

釧路といえば「丹頂鶴」と短絡的に思い込んでいたが、よく考えると最近では釧路湿原の方が知名度が高いかもしれない。周辺は木材、石炭、硫黄の産地で、釧路はその積み出し港であり物資集積地として発展した。産業基盤は水産業、石炭鉱山、そして製紙工場と一次・二次産業が厚く、まさに道東の中心地だった。道東の中核都市釧路は、また観光地の起点でもあり、阿寒湖、摩周湖に代表される道東観光は北海道の人気抜群な観光地でもあった。自分の中では、函館よりもお気に入りの観光地だった。釧路の街がとてつもなく元気で賑やかだった頃のお話だ。

釧路から伸びる鉄道網は、北海道東部の産業基盤を支える動脈であった。釧路から東に伸びる花咲線と、西に伸びる根室本線がある。根室本線が幹線で、旭川から帯広を経由して釧路を結ぶ北海道東部のメインルートだった。のちに、根室本線は旭川発ではなく滝川から富良野経由に変わり、その後は日高山脈越えで札幌→帯広→釧路と走る石勝線に変わり札幌からの移動時間が短縮された。釧路と網走を結ぶ釧網線も道東の2大都市を結ぶ産業路線だった。鉄道華やかなりし時代の跡が、この周年記念プレートになる。釧路の栄華の跡とも言える。

釧路駅のホームに立つと、ラッピング列車が止まっていた。ただ、ちょっと悲しいのが二両編成のうち、一両だけなのだ。なんだか、JR北海道の苦境がそのまま現れているようで物悲しい。確かに、北海移動何のローカル線で一両編成の列車を1日に何本か走らせるために鉄路の維持管理を行うのは経営的に大変なことだろう。バスへの運行切り替えにすれば、鉄路維持費は無くなり、道路の維持費は国と自治体持ちだ。経済的な意味をわきまえない、鉄道ノスタルジーでは語れないリアルな経営の話なのだ。昔のように貨客車を走らせて運行効率を上げるとか、駅に宅配便の営業所を直結するとか、何か新しいビジネスモデルがいるはずなのだが。民営化されているのだからコラボ企画で黒猫ラッピング車とか、飛脚のマークの車とか開発しても良さそうなのになあ。
この一両だけのラッピング車両は、個人的にはなんとか鉄道残して欲しいなあ、と思わせる切ない光景だった。