旅をする

チャシ 蝦夷地の城跡

根室市内から車で20分程度、納沙布岬の近くに「日本100名城」がある。多分、一番東で一番北にある名城だ。チャシと呼ばれるアイヌの軍事施設で城郭跡地だ。説明書きがなければ、ただの原っぱとしか思えない場所にある。ここに立てこもって戦争をしたとすると、いったい誰が相手だったのかと思うような場所だ。そもそも高配置に守るべき場所があるようにも思えない、

北海道全体には、このようなチャシが数十箇所あるようだ。アイヌの人たちが好戦的だったのか?それとも民族内紛争のようなものが活発だったのか?その辺りの知識が全くない。小学校の時に習った「北海道のおいたち」には、そんなことは全く触れていなかった。(記憶が定かではないが・・・)実は、アイヌ関連の歴史は、当時触れてはいけない、不都合な真実だったのだろうと思う。今でも、積極的に教えているとは思えない。教えてはいけない、教えたくない、不都合な真実は、明治以前で言えば大和朝廷の日本征服の話と、明治以降で言えば日露大戦以降の戦争に次ぐ戦争とその結果の亡国、その責任の話だ。アイヌの話はその隙間になる異民族抗争の話だから、余計に語りずらいのだろう。国連で非難されて、初めて関連文化施設を作ったくらいの反省のない国だから仕方がない。

この辺りは野鳥の観察地でもあるくらい、のどかな場所らしい。あたり一面が野原で、背の高い木は一本もない。冷涼な気候が木の成長を許さないということだろうか。原野という言葉がピッタリしすぎている。

チャシの入り口から見ると台形の城郭基盤が見て取れる。ここに城?が立っていたようだ。おそらく海岸がよく見える場所ということで作られたのだろう。ということは、戦う相手は海から攻めてきたわけだ。トドの背に跨った海洋戦士みたいなものか?などとおバカな空想をしていたが、夏だというのに気温は低い。冬だったら、眉毛が凍る寒さだろう。

高台にあるチャシの下には、今は漁港が広がる。船を泊めるのには良い地形だったのだろう。オホーツクの海が、冬には流氷に覆い尽くされるので港を作るのは苦労しただろうとは想像できる。

海岸に沿って伸びる漁港は、コンクリートで作られた防波堤に守られていた。つまり、ここは近代になって新しく作られた港でもある、ということだ。

こるまで5分ほどの距離の場所に、もう一つのチャシ跡があるようだが、そちらも見栄えは同じだろうとサボってしまった。茶氏の横には大きな風力発電の風車が建造されていて、その城跡と風車の対比も面白いかなと思ったが、あいにくの曇り空なので諦めた。

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