2017年の記憶 #24 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父札所参りと同時並行で坂東札所参りもしていた。関東全体にお寺がばら撒かれていて、鎌倉が一番札所で、ぐるっと関東平野を時計回りに周り千葉県館山が最終になる。西国札所を関東でもということで、鎌倉時代に始まったようだ。ゴールの地、館山は鎌倉幕府に縁が深い三浦半島の反対側に当たる。坂東札所巡りはこちらの都合で、1番から巡ったわけではない。四国88カ所のように回る順番に厳密ではなくても良いらしい。

札所巡りは、そのお寺の御本尊の観音様をお参りに行くものだが、御本尊にはお目にかかれないことが多い。ただ、この大谷観音の外には、大谷石を刻んだ大きな観音様もいるので、何やら普段よりもありがたみがあった。人は現実に目にすることで、納得するものなのだと実感した。宗教によっては偶像崇拝を禁止する教義もあるが、やはり、大きなものを目にしてありがたがるのは人間の本性みたいなものなのだろう。古来、宗教的な建造物や神像が巨大化するのは、この辺りが理屈なのだなとおもった。しかし、東大寺の大仏には工芸的なもので感心したのだが、この石仏はそれとは違う感銘を受けた。金属加工よりもっと原始的な石を削るみたいな手法の方が、よりありがたみを感じてしまうらしい。この辺りは理屈ではなく動物的な感性みたいなものかなあ。