旅をする

秩父の札所巡り 昔から観光客はバカたっだ?

2017年の記憶 #23 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父札所巡りを始めたきっかけは、ずいぶん前に録画していてそのままにしていたアニメをみたことだった。秩父を舞台にした高校生たちのストーリーで、遊び場として使われていた17番札所が妙に気になったせいだ。サクッとネットで調べた後、札所の解説本を買いに行って、どれどれと始めた札所巡りだった。お約束通り一番札所から回り始め、お目当ての17番札所にたどり着いたのは、1ヶ月くらい後だったと思う。34カ所ある札所巡りのお寺も、中盤は住宅地の真ん中にある場所ばかりで駐車場を見つけるのが大変だった記憶がある。この17番札所も駐車場を見つけるまで苦労した。
あちこちのお寺で札所巡りをしている人には会ったが、17番札所は特別で、若いカップルが何組もいた。おまけにそのうちのひと組は外国人観光客だった。札所巡りの国際観光地化だな、と妙に感心した。

札所に行くには車のナビにお世話になったので、あまり迷うことはないのだが、古いナビのせいなのかお寺の裏側に連れて行かれて、行き止まりの道をUターンするのに15分以上かかったこともある。それ以来お寺の近くに行ったらナビは信じないことにした。寺の山門前にたどり着けば、たいてい駐車場の案内がある。親切なお寺の場合は、山門前が駐車場になっている。

それにしても、有名な神社や仏閣に行けば見かけることになる「千社札」なる張り紙が気になっていた。有名観光地の落書きもどきで、バカどもの存在証明だなどと憤慨していた。ところが調べてみると、許可をとって貼ることが多いらしい。禁止されていることもあるようだが、お参りに来て千社札を貼ると功徳が長持ちするという風習のようだ。おそらく貼らせてもらうには、なんらかのお布施もするのだろうから(札貼り単体にではなく、お経を上げてもらって、写経して、納札してと色々お願いした上での千社札はり)宗教的な商売だとも言えるのか。この汚らしい古びた紙札と思っていたが、意味があるのだと知ってからはちょっと見方が変わった。

観光地の落書きは日本人だけではない。Kilroy was hereと落書きするアメリカ人も有名だったし、今で言えばバンクシーもアートの顔をした落書きだろう。きっと落書きの類は人類共通の悪戯なのだ。しかし、わざわざ「札」を印刷し、ご丁寧に糊付けして貼っていく、この日本人の執念は一体なんなのだろうか。やはり宗教的信念なのかなあ。

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