旅をする

これも城跡  群馬の山の中の難易度の高い城 

日本100名城をめぐるスタンプラリーを始めて4年目だが、去年は丸一年どこにも出掛けられず、今年も夏まで城巡りの旅に出られるのか怪しい社会情勢だ。城巡り必携の参考書に公益財団法人日本城郭協会のオフィシャルブックがある。100個のスタンプを集めると100名城完了認定証がもらえる。おまけに続・日本100名城も認定されているので、名城スタンプラリーをコンプリートしようとすると正・続を合わせて200の城を回ることになる。何年かかることやら。
この城廻りで一番困ることは、スタンプラリーのスタンプのありかが各地でバラバラで、山の中に立っているポストみたいなものの中に収められていたりする。そのポストの場所の地図があるわけでもなく、城の入り口でもスタンプ設置場所がどこか説明がされていないことも多い(ほとんどだな)。山の中を必死にスタンプ探索作業するはめになったりするので、名城めぐりは体力も必要だ。また、地元の記念館や研究施設にスタンプが設置されている場合は、城跡から距離があるところも多い。城跡を見たあと1−2キロ以上歩くなんてこともある。100名城廻りはなかなか体力勝負な趣味、といって間違いない。たまにお城の伝承記念館のようなものの中にあり、スタンプを押すのに入場料が必要なこともある。

典型的な山城の跡

お城というと誰もが思い浮かべる、姫路城とか松本城とか熊本城とか、とにかく天守閣がどーんとそびえる3層、5層といった立派な建物というイメージがあるが、実際には天守閣のないものが多い。そもそも城跡に建物自体が存在しないで(復元もされていない)、地面に溝だけが残っているという方が半分以上だろう。
戦国時代に活躍していた山城の城址は、そんな「溝」を含めた凸凹が残っているだけというものが大半だ。真田一族が支配した群馬から長野にかけての地域にある山城跡は、その溝と斜面の典型だと思う。草が生えている斜面は、昔は濡れるとツルツル滑る粘土質の土が露出していたそうだ。関東ローム層という赤土が実に滑りやすいので、関東の城は石垣ではなく(積むのが面倒で金もかかったため)泥壁仕様が多かったようだ。だから、城跡を見にいくときは絶大な想像力を発揮しなければならない。
ここにあるのは草が生えた手入れ不足の斜面ではなく、水は入っていないが赤土の泥壁で補強された空堀だぞ、とか。この通路には上から落として怯ませる大きな岩が置いてあったり、投弾兵器としてソフトボールほどの石が山のように積まれていたのだぞ、とか。堀の下からワラワラと上がってくる敵兵に土塁の上から油を撒いたり熱湯をかけたりして追い払う戦国時代の攻城戦・防衛戦は、映画に出てくるような槍や刀で斬り合う勇ましい物ばかりではなかった。坂の上から熱湯をかけられ、あちちと思ったら泥に足を取られて、周りの兵を巻き込んで斜面をずり落ちるという光景を想像ずれば、昔懐かしの風雲たけし城みたいな滑稽感すら湧いてくる。
その戦術に合わせて構築された山城は、地形を生かした「いじめの思想」に基づいて設計されていた。滑って転んだ敵兵に、上から石をぶつける。盾で投石を防ごうとしたら岩を転げ落とす。そんな感じの防衛思想だから、矢を射るなどもったいない。そもそも城自体が消耗品だったので、戦に負けたりすればさっさと撤退するから、そのあとは廃城になることも多かった。

そんな戦国時代の戦闘効率主義に思いを馳せながら、山の中の草がぼうぼうに生えたところを見にいくというのは、相当に高尚な趣味だと自負しております。はい。

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