旅行雑誌には一年に1度か2度ほど駅弁の特集記事が組まれる。その記事をずっと見てきて、やはり絶対定番と言われる弁当がそれなりの数に登る。それを旅に出るたびに一つ一つ平らげて一句のが楽しみなのだが、旅のルート上なかなか巡り会えないものも多い。その中の一つが、この「湖北のおはなし」だ。申し訳ないが米原駅は西に行く時も北に行く時も通過点でしかなかった。途中下車して駅弁を買うほどのマニアでもないので、ここはずっとスルー駅として諦めていたのだが。

新年恒例駅弁大会でこれが販売されるのを見つけて、これは是非試してみなければと意気込んで島田。そしてそれは大正解で、おそらくこれまで食べてきた摘便の中で、飛び抜けての上位にランクする業物だった。まずは包装紙が風呂敷のようなもので、不織布だろうと思う。そしてこの風呂敷もどきがこれまた芸術的というか、弁当を取り出して広げてみると、ハンカチのように真四角ではなく菱形だった。横に長い弁当をきれいに包むためにわざわざ横に長い菱形に整形してある。包んだ時の美しさを計算しているということだ。

そして弁当箱だが、これもペラペラのプラスチック製などではない。いわゆる簾上のものを脇に木製の板を止めて箱上に整形したもので、いやあ、これも芸が細かい。そこと脇にはコーティングした紙を敷き水漏れは防ぐ。ただし、上部から水蒸気は逃げていくので、弁当がベタつかない。素晴らしい。

中を開けると竹皮もどきの紙に包まれたご飯とおかずが登場する。サイコロの中はデザート用の飴玉だった。サイコロに合わせてご飯の包みは長方形ではなく台形というのが、これまた芸の細かさだ。おかずは幕の内弁当的定番風なのだが、これがまた実に繊細なものだった。弁当についてくる卵焼きといえば甘いだけの薄っぺらいイメージがあったが、この卵焼きは「だし巻き」で、それも出汁の味がとても強い。首長たっぷりの卵焼きだった。鳥肉の煮物が入っているが、浴びせかけるように「薄切りかも肉」が存在感を示している。そしてなにより感心したのが、大豆の煮物。これも普通の弁当であればちょっと甘すぎな感じの煮豆でお茶を濁すところだろうが、これはなんと小エビと一緒に炊き込んだらしい。エビの味が染み込んでいる。豆の中に小さな赤い物体を見つけてわかったことだ。エビの佃煮みたくなっているが、これは豆と一緒に仕上げたものだろう。実に芸が細かい。

そのあちこちに散らばっている「意識高い」おかずを食べながら、豆ご飯を頬張ると・・・。何やら良い香りがする。どこかで嗅いだような、でもすぐに思い出せない良い匂い。これはなんだったかなあと、思い出せないがうまいので余計イラっとする。

ご飯を半分ほど食べたところで答えが見えてきた。わかったとか思い出したというのではなく、見えてきた。ご飯の下に「桜の葉」が敷かれていた。良い匂いとは、要するに桜餅の匂いがしていたのだ。桜の葉の塩漬けを香り付けのために敷いている。豆ご飯が神に包まれていたのも、その桜の匂いをごはんに纏わせるためだったのだろう。
いやはや、感服しました。これは凄まじいテクニックです。弁当を追求しまくった究極形態の芸術です。牛の旨さで押し切ったり、カニの旨さで平伏させる素材強化型駅弁は数多い。その強大な戦闘力は認める。うまいと思う。しかし、それとは正反対のいちにあるのがこの弁当だった。素材は厳選されているとは思うが、素材の力で押し切るのではなく、調理技術と弁当としての見栄え、楽しみ方、驚きなど計算し尽くされた「技の極み」というものだ。コンビニ弁当では決して味わえない喜びだろう。
あと10年早くこの弁当を食べていたら、ずいぶん仕事のやり方が変わっていたのだと思った。この弁当を食べて、それが唯一残念だったことだ。横川の釜飯や横浜シウマイ弁当にも同じ技術のたかさ、無駄のない完成形の美しさがあるが、個人的にはこれがThe ベストオブベストだな。世の中にはまだまだ知らない「すごい食べ物」がそんざいするなあ。