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所沢 Now and then

たびたびの所沢市の話になるが、この街はお江戸の時期は天領だったはずだ。だから、お殿様の居城はない。東京とかの多摩地域と地続きだし、武蔵国で秩父との境にあたるから、街道街として栄えていたわけでもない。JR(旧国鉄)の路線からも外れているから、まあ、普通にいって関東の田舎町だっただろう。東京でも杉並世田谷練馬といったあたりはの農村で片田舎扱いだったのだから、それに輪をかけた鄙たる村落であったはずだ。地形を見ればわかるが、大きな皮もないので米が作れない。だから、丘陵を使った茶畑が広がる「狭山茶」と川越芋の名産地になった。その街が西武鉄道の城下町っぽく東京のベッドタウンとして拡大した?バブル期は、ショートケーキハウスなどと言われた小さな分譲一戸建てが街のあちこちにできていた。そして、今はなんとタワマンの街になってきた。所沢駅前から歩いて5−10分くらいの距離にタワーマンション(20階建て以上とすると)10棟ほどが立ち並ぶ。年明けには駅前の一頭地にすごい立派なタワマンが竣工する。まさしくニョキニョキと生えてくる印象だ。10階建くらいのマンションも10棟以上あるはずだが数えきれない。周りの家が古い二階建ての住宅が多いから、まさに山下達郎氏の歌う、「オレの空を返せ」状態だろう。

そのマンションの足元に残る、古い民家は。市の文化財対象に指定されっているようだ。手を入れれば今でもすめそうな気もする。少なくともガラスサッシの見当たらない、入り口や窓がある建物は希少だ。

実はタワマンが立ち並ぶ所沢駅前周辺にも、最近流行りの大正・昭和レトロ的「文化住宅」が生き残っている。未だ住居として現役だったり、あるいはレストランやショップとして活用されているものもある。窓の外に鉄格子がある建物が現役というのは、これまたちょっとすごいことではないだろうか。こういううちには玄関脇に祝日には国旗を飾るための建具がついていたものだ。今の住宅では忘れられた設備で、自宅でも国旗をあげたことはない。爺様の家では元旦に旗をあげていたような記憶もあるが。

西武鉄道城下町として所沢駅周辺の大規模再開発が進んでいる。初めて見た時の田舎町の駅舎の面影は全くない。JRの大規模ターミナルの湯な雰囲気になり、駅の待合室はないが、日当たりの良い共用スペースが出来上がった。一番人気のお客さんはライオンズマスコット。

すっかり明るくなった橋上駅ホールで、最近はコロナ拡大とマスメディアが連呼するにも関わらず人通りもめっきり増えた。一時期は家に引っ込んでいた高齢者も、またまた怪しげに出没数が増えているように見える。

人通りが途絶えてゴーストタウン化した街でコロナ防衛に成功するとしても、人手を相手に商売している人が飢え死にしたらどうするよという根底の議論が、お医者と商売人では噛み合わない。この議論に結論出せと迫るメディアの無責任さと、実際に街を歩く人たちを見れば、答えはあきらかだと思うが。

コロナ初期に身内のテレビ関係者の感染を大騒ぎして、扇動で視聴率を稼ぐ手法をとった。それに味をシメたか、コロナコロナの大合唱。その後、消費者向け企業のスポンサー離れを起こして慌てふためき、今は経済活性化路線に転向したメディアの節操のなさを「言論の自由」「報道の自由」などで誤魔化されてはいけない。自分たちに都合の良い、自分たちが儲かることを、都合よく編集して放送する自由であり、記事にする自由だろう。最近ではgoto批判を繰り返し、またまた外出自粛が不徹底などと「随分の上から発言」を繰り返す。そんな奴らはいらないなあ、などと人の流れが戻った駅の風景を眺めながら、考えていた。

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