街を歩く

虎ノ門の蕎麦屋

たまに霞ヶ関から虎ノ門、新橋を歩くことがある。官庁周りに様々な企業が張り付いている典型的な官庁城下町で、余り好きな場所ではないのだが。JT本社あたりから新橋まで一気に再開発が進み高層ビルがニョキニョキ生えてきた感じがする。

そんな一角にこれまた古びた明治の頃から立っているような一軒の蕎麦屋がある。昼時にはいつも混み合っているのだが、交通が便利な場所にあるわけでもなく、蕎麦はうまいがわざわざこれだけの人が押し寄せるのかといつも不思議に思う。なんというか、そば信仰というか、蕎麦を食べる人間は人として一つ立場が上だ的な「食の階層制?」があるのではと疑っている。

蕎麦は好きだ、うどんよりも好みだ。ただ、高い蕎麦屋に行くとなぜかこの「俺って、そば通だからさ」的な隠れプライドみたいなものが気になる。そもそも不良と貧乏人の食べ物だったはずの蕎麦が、なぜこんなに精神性を持った食い物に成り上がったのだろう。お江戸では町内に蕎麦屋と銭湯と寄席が必ずあったそうだから、完全に大衆食堂だったはずだ。だから、蕎麦食いの作法みたいな本を見ると、妙に腹が立つ。

とは言いつつ旨い蕎麦を食べたいときは、昼ではなく午後も中盤になってランチ客がいなくなったあたりで、店の従業員も交代で昼休みを取る時間に行く。もりそばと酒を冷やで一杯。蕎麦を一本ずつつまみにして酒を飲むというのが、お江戸の不良の飲み方らしい。ちょっと気取ってこれを真似してみるが、空腹には勝てずどっぷりと蕎麦をつゆにつけてもぐもぐ食べる。まあ、蕎麦屋なんてこんなもんだよね。

そう言えば東京に出てきた頃は蕎麦屋信仰に毒されていたものだが。麻布十番までわざわざ食べに行ったりもしていた。お見返せば、やれやれご苦労さんであったなあ。

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