旅をする

札幌の Now and Then

札幌の話が続いているが、コロナの影響でネタがないというか、偏っている。

札幌というか北海道というか、北の地の開拓が進んだのは、明治の内乱が終わり(個人的には明治維新という言葉が嫌いなので、西国大乱と呼びたいくらいだが)北方からのロシア侵略に対する防衛という観点で予算が投じられてからだ。それから150年経っている。

札幌ファクトリーの一角にある 爆珠工場跡

北海道開拓は鉄道網の進捗に合わせて進んだので、地方の中心地と道庁が置かれた札幌を結ぶ構造になっている。膨大な開発予算が投入されたので政府役人の汚職は一山いくらで起こっていたし、官民癒着が激しいというのも今の日本と変わりはしない。おまけに、西国政府に内乱で負けた旧幕府側の武家は棄民の如く北海道に移住させられた。(貧乏になって移住するしかなかった)
その北海道開拓の当初を主導したのが、北海道開拓使と呼ばれる行政機関だった。その後継が札幌開拓使で、札幌開拓使直営?施設が、現在のサッポロビールの前身となる麦酒工場だ。
今ではすっかり観光施設だが、当時は最新鋭の西洋文化の移入施設だったはずだ。しかし、明治の初期にビールを飲むものが一体どれくらいいたのかと突っ込みたいくらいだが、何事も最初はそうだろう。おそらく西洋で当たり前に飲まれているビールなるものを製造しなければバカにされてしまうというコンプレックスが動機だったか、お雇いできていた米国人に「俺はビールを飲まなければ働かないぞ」と脅されびっくりして作り始めたみたいな顛末なのではないか。

札幌駅ビルの一隅

そして150年経った現在では、札幌駅の周りは実に現代の気配が漂う。昼間に見れば駅前地下街の明かり取りにしか用がないとも思うガラスタワーだが、夜になればそれなりに美しいオブジェだ。厳寒期にさすがに見当たらないが、気候が良くなる季節にはこのガラスタワーでカップルが並んで座っていたり、なかなかおしゃれな待ち合わせスポット的に見える。テレビ番組のインタビューが行われるのはここか、大通り4丁目の交差点辺りなので、現代サッポロのランドマークと言える。

150年経ってすっかり北海道民意識は形成されたのだと思うが、当初はかなり複雑な状況が入り乱れる貧乏人と逃亡者と犯罪者の雑居地だったことを忘れてはいけない。いまだに本州を内地と呼ぶ人も多いが、「内地」という言葉に秘められた望郷と怨念は歴史的事実だと思うのだが。
個人的には、人口が500万人もいるのだから日本から独立して「蝦夷共和国」でも建国すれば良いと思うが。デンマークが同じくらいの人口で立派に独立国家(王国)していますねえ。

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