書評・映像評

ナミヤ雑貨店の奇跡 職人芸の極み

表紙 by Amazon

映画にもなった東野作品だが、やはりこう言う話を描かせると本当に上手い人なのだな。オムニバス形式で登場人物が微妙にオーバーラップする。物語の舞台は、80年代のバブル期と2010年代を行き来する。時系列が前後に飛びながら話を収束させていく。思わず登場人物の時点と関係を作表して整理したくなるほどだ。
ただし、この整理表を見た瞬間に全てのネタがバレてしまうので、一冊読み終わった人しか見てはいけないものだろう。

この話は昭和後期に発表されていれば、間違い無くSFとして扱われたであろう作品だが、今ではこの程度のタイムスリップ、パラレルワールド的に話を展開させても、小学生ですら驚かない。そもそも小学生でもタイムスリップとか次元転移が常識になったのは何時頃からだろうか。少なくともドラえもんで刷り込まれたSF的概念に誰も抵抗を覚えなくなったのだ。とすれば、40年前の小学生が大人になり、自分の子供とドラえもんの話をするようになった時から、SF的ガジェットは大人も子供も共有できる「一般化した」ものになったのだと思う。
この東野作品も、そうしたドラえもん(その他各種SFアニメ・コミックなど)で教育された大人たちが読者になった時代だから、タイムスリップ的事象に余分な説明をしないでスラッと書けたはずだ。タイムトラベラーの説明が必要だった「時をかける少女」から、読者も作者も随分と進化したものだ。

ただ、手紙のタイムスリップという話だけでは物語として膨らむはずもない。5話の物語のどの話の中でも不幸な人間関係が縦軸となり、そこにナミヤ雑貨店主とその人生相談に関する回答が絡むようになっている。それぞれの話の主人公たちは誰も幸福ではなく葛藤を抱えたままだ。その葛藤が続きの話の中で解消されたこととして語られたり、サラッと逸話として流れたりする。この辺りが名人芸とでも言うべき気持ちの良さ、長く放置された伏線が回収されるスッキリ感となる。
読み切ってみると映画化されたものを見たくなってきた。原作がどのように料理されたのか、ちょっとドキドキする。

80年代、バブルの時期って、もはや経験者の方が少数派なのだなと思いつつ。

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