
徹底した大日本帝国批判と軍官僚批判
テレビや映画になった物語の原作本だが、全編通して(太平洋戦争の始まりから終わりまでを)、帝国海軍批判でで書き連ねている。戦略なき作戦と失敗の糊塗。兵員の損失を顧みない現場での指揮。様々なノンフィクション・戦史でも語られている帝国陸海軍上層部の無能ぶりがこれでもかと書かれている。後半では、特攻を中心に語られるが著者の怒りは止まらない。兵の愛国心を利用し強要する軍官僚への非難、批判にあふれる。
宮部少尉に託した、それぞれの戦争観
主人公である宮部少尉は、中国戦線から沖縄特攻まで、全ての重要局面で零式艦上戦闘機パイロットとして過ごす。生きて妻のもとへ帰るという命題をまもりつづけるが、それに反発する物も周りに多い。宮部少尉の立場を肯定するもの、否定するもの、それぞれの視点から語られる「戦争の現場」は、辛く悲しい。そして著者は、どの場面でも軍官僚の無能ぶり、無責任ぶりを暴き続ける。
愛国心を強制する者の疎ましさ
昭和の軍国教育と切り捨てるにはせつない愛国心を吐露する若者と、それを利用するずるい上官という構図だが、その一方で、現代日本の愛国心とは何かを訴えもする。ただ、そこには「国を私する馬鹿な官僚に騙されるなよ」というメッセーゾも窺える。確かに、道徳教育だの愛国心だの要求する政治家や、それをよいしょする官僚など、自分のしないことを人に要求する典型だ。こういう輩こそ、特攻で使い捨てにすることで国が良くなると。まあ、腐った政治家は歩く生ゴミみたいなものだから、分別収集が必要だろう。
メディアというものの愚かしさと変わらぬ軽薄さ
そして、もう一つの道化が登場する。某「日の出の太陽」マークの新聞社と思われる新聞記者だ。著者の批判は鋭く毒舌に満ちているが、確かにうなづける点も多い。少なくとも戦前の新聞の複写を読む限り、どの新聞も戦意高揚、イケイケどんどんな記事しか書いていないのだ。メディアが新聞、映画ニュース、ラジオしかない時代に、戦争礼讃、無敵帝国陸海軍と煽った新聞社の罪悪はどれだけ反省しても消えないだろう。ところが、どの新聞も戦後になって反省していない。(自分たちの戦争推進責任を認めていない)
半藤利一氏の著作にあるように、メディアが戦争を引き起こしたと言っても過言ではない。少なくとも煽ったのは間違いない。
結局、メディアも、軍部も、そして民衆も狂ったように戦争に突き進んだ。転回不能点まで踏み込み戻れなくなり、最後には国と民の全てをかけた大博打に失敗した。その責任を誰も取ろうとしない。そこに著者の怒りが向いている。この一冊は、太平洋戦争、当時の名称は大東亜戦争を一人のパイロットに託した通記であり、現代日本に通じる政府と官僚の暴走を諫める檄文でもあるのだ。