旅をする

岐阜城 天下布武の始まりで思う

岐阜城に行ったのは初めてだった。そもそも岐阜市に行ったことがあるのは仕事の関係で一度だけ。それも県庁の会議室に1時間いただけなので、岐阜の街自体を見たこともないというのが正しい。
自分で車を運転して岐阜市内にたどり着くと、確かに岐阜城の周りに町がへばりついたような格好で、現代都市としては使い勝手が悪いだろうと思った。岐阜城の下にトンネルが抜け道として作られている理由がよくわかる。お殿様から見れば城の周りが一望なので都合が良かったとは思うが、下々のものにとっては、ちょっとした用事があってもぐるっと山の麓を回らなければならなかったのだから、当時からなかなか大変だっただろう。

さて、岐阜城は金華山の頂上に立つ典型的な山城で、ここまで毎日通っていただろう下層武士官僚、およびその手下たちはかなり足腰が強くなったはずだ。今ではロープウェイがあるので、10分もかからずに楽チンに頂上近くまで行けるのがありがたい。

そのロープウェイも、登る途中で見下ろせば、こんな急峻な岸壁を歩いて登れるはずがないと思う。それでも途中に三重塔があるのが不思議だ。

ローウウェイの頂上駅から歩くこと5分ほどで岐阜城の天守閣が見えてくる。計算されたような門塀の向こうにお城が見える。ところがここからがまた結構厳しい登り下りがあり、お城にたどり着く頃には足がガクガクになる。日頃の運動不足のせいにしてはいけないのだが、戦国時代の人々は本当に足腰が達者だったのだろう。 

そして、その上り下りの続く坂道の辿り着く先に浮かび上がるのがこの光景だ。確かにこれは恐れ多くも・・・という気分になる。たまたま晴れた日だったこともあり、威容というか荘厳というか、青空を背景に浮かび上がる城の姿は、支配者のシンボルという感じがする。
ここで信長と帰蝶が暮らしていたのか、天下布武の構想をここで練っていたのかと。今歩いている道も彼らは歩いたのだろうか。などとちょっと感慨深くなる。

お城の右側の方には、登山道路があるようで、たくさんのハイキング客がお城の周りで休憩していた。高さや道路の取り付け具合を含め、山登り初心者や日帰りハイキングには向いているのだろう。帰りにロープウェイを使うという抜け道もあるし。同じ道を竹中半兵衛が城攻めで登っていたかもしれないというのが、ゾクゾクする。歴史的な一体感と言えば良いのだろうか、戦国時代の城を訪れると感じることだ。
確か織田信長は出世(領土拡張)するたびに城を変えている。振り出しは那古野城、次に清洲城、小牧山城、岐阜城、安土城だったと思うが、その大半がう甘じろだ。高いところが好きだったのだろう。

ただ、お城の下から見上げると意外と小さいのだよね

岐阜城はこちら

お城巡りは歴史小説とセットでどうぞ おすすめは司馬遼太郎「国盗り物語」

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