書評・映像評

蜘蛛ですが、なにか  

現代的会話饒舌体の極致か

表紙 by Amazon

饒舌体は古くはサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、そして庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」あたりで一般化された一人称の語り口だと思う。その後、椎名誠のエッセイ「さらば国分寺書店のオババ」あたりから言われるようになった「昭和軽薄体」辺りで確立された。
「僕は」「わしは」「俺は」ではじまる思考をそのまま吐き出すような文体だ。ラノベではいわゆる一人称視点での物語が多いのが、あまり饒舌たいが目立つことはないのように思う。現代的な単語を使いながら実のところ文体自体は保守的というか、標準的な書き手が多いような気がしている。ところが、この本の著者はまさしく平成最後の時期に新饒舌体を打ち立てたのではないか。ラノベ全部を読んでいるわけでもなく、似たような語り口の作家がいるのかもしないとは思うが。


ストーリーはよくある転生もので、授業中の高校教室内での爆発によるクラスメートの集団転生、それも人族以外の種族にも(モンスターにも)転生するというあたりが多少ユニークだが、転生先は魔術が通用し、魔物が人族の天敵であるというおきまりのパターン。

この話のユニークさは、主人公が人以外に転生したというあたりなのだがこれは先駆者としてスライム転生ものが大ヒットしているので、二番煎じと言われればそれまで。コミュニケーション障害気味のクモが主人公というあたりは、屈折キャラが主人公になって一人称で喋る(語る)という点で、まあまあ面白い設定かもしれない。

もう一つの特徴として、登場人物への感情移入が難しい。まるで、ト書きを読むような立ち振る舞いとでも言えば良いのか、主人公である蜘蛛のモンスター以外に、それ以外のキャラクターの感情が受けとれない。その結果、主人公である蜘蛛子の成長物語では、それなりの面白みも感じられるのだが、他のキャラの絡んだ話になると、まったく違うストーリーかと言いたいくらい平坦なものになる。

崩壊しつつある世界であり、それを支えようとするものと、崩壊を加速させようとするものの戦いが設定上はあるのだが、そのどちらのサイドのキャラにも、必死さというか、必然的な努力なのだということが感じ取れない。そうなると蜘蛛子の成長ストーリーが止まると、話自体が停滞する。
実際、7巻あたりから急速に話の展開が遅くなり、質的な低下とすら言いたいくらいだ。

ラノベの典型として、巻数が伸びるごとに質的劣化が起きるのは、希薄な設定、あるいは簡素な設定しかなく、人気が出て巻数が伸びると世界展開に耐えきれなくなるせいだ。一般的にシリーズ物で、大長編化している成功作では、だいたいが1話完結式になっている。キャラのサイドストーリーで引っ張るという手法は、週刊少年ジャンプ的ではあるが、あれは刊行ペースが早いからできる荒技であり、1年に2−3冊のペースでは、持たない手法なのだろう。

物語としては、そろそろおしまいが見えてきているようで、伏線を回収しつつ収束させる段階だと思われる。尻切れとんぼにならない程度にはまとまってきていると思うが、夢落ちなどのどんでん返しは期待しないので、兎にも角にも無事最終巻を迎えて欲しい。浅い巻数の段階では全くキャラ立ちしていなかった連中が、なにやら心の葛藤を見せ始めているので、案外最終巻では大化けするのかもしれないと期待しつつ。

ちなみに、この蜘蛛子の話のきっか絵になったスライム転生ものでは、最新刊は物語破綻としか言いようがない「少年ジャンプによくあるキャラ総出演の大乱闘」だった。良くも悪くもラノベが少年ジャンプ直系の子孫であることの良い見本だろう。この話も、大団円とは大乱闘と同じことになるのかという危惧を抱きつつ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中