善知鳥神社(うとうじんじゃ)というのは読み方が難しい。青森市の繁華街のはずれというか、元の繁華街の中心地らしい場所にある。ふらりと町歩きをしているとたまに行き着く特別な場所があるが、まさしくここがそうだった。

ホテルに戻る途中に飲み屋街の小路を適当に曲がったりしていると行き当たった神社だった。津軽地方の中心地は弘前で(お城があった)青森は、陸奥の果て、そして蝦夷への渡航地的な認識があった。だから、江戸時代には青森は出先機関がある場所だったはずだ。
明治以降の蝦夷の開発に伴い青函航路の需要が急増し、青森は交通の要衝の地となった

では、この善知鳥神社はいつ頃からあったのか。奥州街道とは・・・と思いを巡らせる

奥州街道は、お江戸日本橋から宇都宮、盛岡を経由し、青森に至る街道だったようだ。

まさしくここは日本国の果てであり、ここから船で渡るのは蝦夷地なのだから、当然異郷であり、などと考えさせられる。
