書評・映像評

とあるおっさんのVRMMO活動記 19

転生物とは違うが、異世界で遊ぶためのやり方 「ゲーム世界」型の典型

表紙  by Amazon

https://www.amazon.co.jp/とあるおっさんのVRMMO活動記%E3%80%8819〉-椎名-ほわほわ/dp/4434264133/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=とあるおっさんの&qid=1571540104&s=instant-video&sr=8-1

戦い多少あり、ロマンスなし、ファンタジー系の料理日誌みたいな・・・

最初にタイトルのVRMMOについて説明すると
Virtual
Reality
Massive
Multiple-player
On-line game
仮想現実空間で大量の参加者がプレイヤーとして遊ぶゲームで、コンピュータ相手に一人で遊ぶ旧来のゲームとは異なり、大人数のプレイヤー参加が前提になるので、会話をしたり仲間になったりと、現実社会のようなコミュニケーションが取れる。実際にはまだVRの質が向上中であり、この本の中のような実体験と間違うほどのリアルさはない(はずだ)が、ハマる人が多い。モンハンなどは、MMOとして一番広く知られているのではないかと思う。いわゆる「ネトゲ」という代物で、中毒性が高いらしい。

異世界転送ものというお話について

最近すっかり定着した感のある異世界転送物というジャンルがある。むかしであれば、SFとかファンタジー小説とか言われていた、この世界ではない世界での冒険譚というものだろう。SFでは未来的な話が多く舞台が宇宙だったり、地球以外の星だったりする。ファンタジーであれば、それこそ異世界で魔法が使える、魔獣や異人種がいるというのがお約束だった。なんとなく科学的裏付けがある世界がSF、物理法則を無視した魔法があればファンタジーのような区分けだ。ストーリーは世界設定がどうあれ、そこに巻き込まれた若者が成長するパターンが多いが、主人公が苦心惨憺、甚だ厳しい環境からなんとか脱出するパターンのどちらかになる。

しかし、転生ものではこのお約束ごとが全く守られない。画期的と言えるのか、主人公が全く冒険しないパターンが出現した。
例えば異世界に開いた特異点で居酒屋経営をする。異世界人が押し寄せる人気店になるのだが、そこで起こるのは冒険でもなく、下町で起きる人間関係のもつれ的なストーリーだ。(フーテンの寅さん的世界、渡る世間に鬼的世界というべきか)
また、冒険をすることはするのだが、主人公が人以外になってしまうと、感情移入がしにくいだろうと思う。しかし、主人公がスライムになったり蜘蛛になったりしても人気がある。

異世界に行くのではなく、仮想現実世界へ意識を飛ばすというパターンは、まさしく今日的な設定だが、主人公が現実世界では死なないのだから、まさしくゲーム感覚の冒険になる。こうなれば下0無ない世界が意識の上では第二の現実ということか。
他には、死んだら異世界にいましたという「巻き込まれ型転生」が多いが、自分から異世界に行ってしまう「現実逃避型」や、自分の意思にかかわらずさらわれてしまった「誘拐型」、その変形として仮想現実世界から抜け出せなくなった「拉致型」などもある。
どちらにしても転生ものの原点は、「今とは違う誰かになったら(それも今とは違う世界で)、俺だって結構すごい」という話だ。現実に存在する新宿警察署の刑事になったり、自衛隊の海外派遣で事故に巻き込まれたりというリアル感は薄い。ラブ・ロマンスもあることはあるが、好きな子の耳がウサギや猫の耳だったり、長かくて尖っていたりする人以外との恋愛であることも多い。

とあるおっさんの・・・というこそ平成のストーリーテリング

ということで、この「とあるおっさん・・・」についての話だが、すでに20巻近くになる大編だ。webでの連載から書籍になるという転生ものではよくあるパターンで、おそらく人気の原因は前述したような「冒険しない」時間と「冒険している時間」のバランスが良いことだろう。ネットゲーム内の仮想世界なので、実際に傷付いたり死んだりすることはない。主人公は普通の会社員で30代後半、独身というゲームに没頭するには良い環境だ。話の中ではほとんど現実世界の描写はない。現実ほどト書きのような世界であり、仮想現実内のゲーム世界の方がよほどリアルに描かれている。
冒険しない時間は、料理をしたり、加工品の原材料を集めに行ったりする。たまたま作った料理が売れそうだと、屋台を開いて販売する。稼いだ金で装備や道具を買う。実に、資本主義的社会がゲームの中では幅をきかしている。ただ、これだけでは飽きるのだろうから、たまには冒険に行くのだが、これもご都合主義的に世界のキーマンに次々と絡まれ(惚れられ)、あれよあれよと圧倒的なスキル、技能、能力を獲得する。そして超人的な問題解決能力を示す。

この作品が、現在隆盛を極めるライトノベルの一つの頂点であるのだろう。
その特徴は、
「頑張りすぎない」 冒険もそこそこ、冒険以外の活動で世界を経験するのが主眼
「やるときはやる」 主人公と関係が深いものの苦境は全力で助ける。が、失敗してて痛い目に会うこともある。
「箱庭的世界構築が好き」 現実世界とは違った部分の隅っこを精緻に描き出す。主人公もおなじことをしているメタな世界構築もあり。

平成アニメーションの収斂効果

異世界で「サザエさん」や「ちびまる個」的日常を語りつつ、「ワンピース」的な冒険と「ドラエモン」的ガジェットが必須であり、同じく「ワンピース」的な人外のモノたちとの交流がベースにある。まさしく、現代日本アニメの総決算的なストーリではないか。
少なくとも著者が成長する過程で見聞きしたアニメ世界が、無意識にか意識的かはわからないが、強く反映されているのは確かだろう。他のライトノベルで長く巻数が伸びている著作も、同様な傾向にある。エンタテイメント作品の基礎教養としてアニメの理解は必須なのだ。一方、同じくアニメ的な要素として「キャプテン翼」に代表されるチーム力、仲間との結束のような要素は薄まっているようだ。これも少年ジャンプ的世界の影響力の弱まり(実際にジャンプの発行部数は減少し続けている)があるのかもしれない。ジャンプの中では勧善懲悪もさることながら、悪い奴が改心して仲間になるという構図がある。ところがラノベでは、これを突き放すように「悪い奴は最後まで悪くて、滅ぼされていなくなる」というパターンがめだつ。

この「おっさんシリーズ」でも侵略戦争を仕掛けた「人族」は「妖精族連合」に滅亡させられた。独善的な侵略と差別を行った「ハイエルフ」族も滅亡寸前まで処分された。確かに悪い奴らには容赦ないというスタンスが貫かれている。ではそれは救いがないかと言われれば、そうとは言えない。やはり悪い奴はバッサリ退治するという水戸黄門スタイルの方がスッキリ感がある。少年ジャンプ的悪いやつも更生さえすればいい奴になれるというのは、昭和の教育的欺瞞だったのだと今更ながら思う。言い換えれば、平成30年間かけて、ゆっくり勧善懲悪の落としどころの概念が変わったということだ。今の時代の正解とは「悪い奴は悪いからいなくなっちゃえ」ということだ。
同じように努力すれば最後に正義は勝つ、この概念も揺らいでいるように思える。昭和的勧善懲悪では、最後に正義が勝たなければいけなかったが、平成後の価値観は、正しくても弱い奴は負けちゃうよだ。努力しても勝てっこないこともあるよねと言って、退場していくプレイヤーもたくさん登場する。

この話の中でも、妖精族最強戦士の一人が戦争中に重傷を負い死にかかる。それを主人公が超絶的手段で救うのだが、傷が治っても戦士に戻ることはない。ワンピースであればありえない退場の仕方だろう。あるいは主人公に思いを寄せる妖精族の女王が、暴走して主人公にやり込められる。その後は登場にめっきりと制限を受ける。
この辺りが、平成時代のラノベの底流に流れる「新しい物語価値観」なのだなあと感じている。

もう一つの転生ものの話はまた別稿にて

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