書評・映像評

ハムナプトラ 三部作

もう20年も前の作品になるのか。原題はMummy 「ミイラ」

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ハムナプトラとインディー・ジョーンズ

随分前に見た記憶があったのだが、3部作の3作目を見ていなかったので、初めから見直してみた。
1作目のおまけのパートを見ていたら、これは昔作られた「ミイラ再生」のリメイクで、それもかなり前作に忠実に作っているらしいことがわかった。初めて見たときは、インディージョーンズと似ているなあと思っていたが、ちょっと経緯は違うことらしい。

調べてみるとインディージョーンズはこんな設定になっている。
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年公開)  →1935年のお話
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年公開) →1936年のお話
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年公開) →1938年のお話
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年公開) →1957年お話

ハムナプトラはインディージョーンズシリーズ3作公開後に作られているので、当然影響はあっただろう。
『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999年公開) →1923年のお話
『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』(2001年公開)→1933年のお話
『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』(2008年公開) →1946年のお話

逆に映画の中の世界はハムナプトラの1・2作目、インディーの3部作、ハムナプトラ3作目という時間の流れになっている。
日本で言えば大正の終わりから昭和20年くらいまでのお話(インディー4作目は昭和30年代)なので、蒸気機関車とせいぜい複葉機の飛行機しか登場しない。移動手段としては、馬とかラクダが活躍する時代というのは共通している。ボルトアクションのライフルと、刀を振り回すあたりはアメリカン冒険ムービーの伝統に則っているというべきだろう。お約束のラブロマンスも絡み、良質のファミリームービーだ。インディーシリーズがルーカスとスピルバーグというエンタテイメント制作の両巨頭が組んでいるが、ハムナプトラもそれに負けない力作だ。後発のハムナプトラ 側は当然意識はしただろう。ユニバーサル対パラマウントの対決でもあるのだね。

1993年公開のジュラシックパークでCGによる恐竜シーンが印象的だったが、2000年前後ではCGがふんだんに使われるようになり、あり得ない視点からの映像が当たり前になった。ハムナプトラの1作目は、その画期的なCG映像が魅力だった。ミイラもすごいが、復活した兵隊の戦闘シーンが印象的だったのだ。これはターミネーター・シリーズでも、CG進化により映像が格段に進歩したのと同様だ。ストーリは、ミイラが復活して悪いことをしようとするんで、主人公がやっつけましたとさ、めでたしめでたし、という分かりやすいもの。ストーリよりも新映像技術を見せつける映画だったような気がする。

2作目は、前作で封印された悪玉が、もう一つの悪玉を処理するために復活させられる。この悪玉1号は、実は時を超えて恋人を復活させて二人で幸せに生きていこうという健気な奴なのだが、それを邪魔する奴はみんな敵的なやり放題野郎なので、結果的に悪玉になってしまっている。そして、この2作目でも悲しいキャラとして扱われ、1000年越しの恋をまた成就できないまま、恋人に裏切られ絶望のあまり退場していく。設定的には絶対死ねないはずなので、また復活する目はあるのだが。
2作目最大のびっくりは、主人公の元気な妻が、なんと昔々は悪役の恋人と争っていた戦闘王女だったことで、前世の記憶がよみがると結構な使い手で、おまけに戦闘中はかなり汚い手も使うという悪女ぶり。アメリカ映画で、ターザンとジェーンのような関係はもう成立しないのだということがしみじみわかる。女性は庇護・保護する対象ではなく、自分の横で高い戦闘能力を示す(たまには自分より強い)キャラとして設定される。そう言えば、スターウォーズの最新三部作ではついに女性主人公がルーク・スカイウォーカーの後継者となり「最後のジェダイ騎士」になる時代なのだから。ターミネーターの強いおっかさんからジェダイの騎士まで、アメリカってこんなに変わってしまったのだ。

エンタテイメント・ファミリー映画における日米の違い

3作目は、お子ちゃまがすっかり大きくなって、インディアナ・ジョーンズとその親父みたいな関係なっている。これもアメリカ映画ではよくあるパターンで、息子が父を乗り越えてそれを認めさせるっていうのは、日本映画ではあまり見ない。やはり、結局、男と女の関係、親子の関係、つまりファミリーを描くというのがアメリカ映画の「語られることなのない」基本設定で、仕事の仲間とワイワイやりながらトラブル処理にあたるというのは(つまり家族関係が登場しない)日本的な「語られない」基本設定なのだろう。
典型的な怪獣映画のゴジラ作品群でも家族関係が登場することはない。新作になればなるほど家族関係は不在だ。ただし、もう一方の怪獣映画の代表作、つまりファミリー向け映画である平成ガメラでは、家族関係の葛藤が物語の背景として重要な位置を占める。3作目のイリスでは、家族を亡くした復讐に燃あがりガメラを恨むまま、イリスとなる少女が登場する。正義の味方のはずのガメラが、実はその戦闘行動中に、意識せず人を傷つけているという事態を曝け出したものだ。これはシュワルツェネッガーの「コラテラルダメージ」に通じる思想と言えるだろう。そして、家族の葛藤こそが物語の主軸になった「エヴァンゲリオン」では、主要キャラ全員がなんらかの家族関係トラブルを抱えているという欠陥人間ばかりだった。(イカリ指令の個人的願望のためみんなが犠牲になる話と捉えても良さそうだ。家族の復権ではなく私怨を晴らすため。)
平成後期になり、ようやく日本の映画、動画作品にアメリカ的要素が入ってきたが、それは肯定的とは言えない暗い情念みたいなものだ。どこまで日本の製作者は性格悪いのか根暗なのかと言いたくなる。
日米比較としてだが、アメリア的エンタテイメント映画作品は、いつでも明るい親子関係が主軸にある。親子なしの時は恋人関係が代用することもあるがシリーズ化すると、やはり親子関係に戻る。スターウォーズはエピソード1から6まで親子の話だった。最後の三部作では、取り残された子供(ハンソロとプリンセスの隠し子)が親を恨んでいる話が主軸になっている。おまけに爺さん(ダース・ベーダ)の怨念まだ絡むのだから、とんだ三代記で、この辺りはなんだか日本の人形浄瑠璃的なドロドロさだ。あれだけのエンタテイメント大作でも、親子関係がテーマかと問いただしたくもなる。日本の作品で言えば「男はつらいよ」の寅さん的な人間関係が一番近いだろう。スターウォーズと寅さんの近さというのは意外だが。

ハムナプトラ3作も家族関係を主軸という基本構造はスターウォーズと似ているが、どちらかというと明るい。おそらく主人公のオコーネルが、ハン・ソロに輪をかけたような能天気な性格だからだろう。ぜひハムナプトラ4で10年後の親子関係を見たいものだと思うが、どうやらパート4構想は止まってしまったらしい。残念なことだ。

でに古い映画になってしまったが、まとめてみると楽しいぞ

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